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いい話に関するuqaのブックマーク (10)

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

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  • 「アホか」と言われたイベントに家族が涙する理由 一度訪れるとファンになってしまう洋菓子店 | JBpress (ジェイビープレス)

    人口が減り続け、高齢化が進む典型的な地方都市。人が集まる施設も、商店街も近くにはなく、日が暮れれば辺りは真っ暗──。 とても商売に向いているとは言えない環境にありながら、連日多くの客でにぎわい、売り上げを伸ばしている繁盛店がある。長野県伊那市にある「菓匠Shimizu」という洋菓子店がそれだ。 あるを読んで、菓匠Shimizuの存在を知った。経営者やスポーツ選手向けのメンタルトレーナーとして知られる西田文郎さんが執筆した『「最幸の法則」』というである(の紹介記事はこちら)。 そのの中で、菓匠Shimizuが1年に1回実施している「夢ケーキの日」というイベントが紹介されていた。全国の小学生以下の子供に、自分の夢を絵に描いて送ってもらう。そして、送られてきた絵を基にケーキを作って、子供たちに無料でプレゼントするのだ。 スタートしたのは2006年。最初の年に配ったケーキは9個だった。それ

    「アホか」と言われたイベントに家族が涙する理由 一度訪れるとファンになってしまう洋菓子店 | JBpress (ジェイビープレス)
    uqa
    uqa 2010/02/04
    これぞプロボノ、というかそれ以上のなにか
  • 心が折れそうなとき、壁で前が見えなくなったときに何度も見ると良い動画、ランディ・パウシュの「最後の授業」

    非常に有名になった動画なのでご存知の方も多いと思います。でもこの動画って心のサプリみたいなもんで、回りが見えなくなったとき、心が折れそうなとき、目の前の壁の高さに前に進めない状態のときにもう一度見ることで、心の扉が開放された気分になれるのです。 ラドルフ・パウシュはアメリカ、ペンシルベニア州カーネギーメロン大学の終身教授でした。余命3ヶ月と宣告されながら母校、カーネギーメロン大学講堂で文字通り「最後の授業」を行ったのです。その講義は、最後まで「人を楽しませること」=「自分の喜び」いう生き方をしていたパウシュそのもので、自分の人生をこんなにも素晴らしいものにしてくれた人々への感謝で溢れていました。見るたびに心に響くポイントが少しずつ違ってきて、遠くからそう、まるで子ども時代にタイムスリップして今の自分を見るような、心に余裕が生まれてくるのです。 【25歳になる自分が改めて「最後の授業」から学

    心が折れそうなとき、壁で前が見えなくなったときに何度も見ると良い動画、ランディ・パウシュの「最後の授業」
  • twitterで知り合った人と付き合う事になりました。経過と所感など。

    見出しの通り、3か月前に始めたtwitterで知り合った人と付き合う事になりました。自分でも驚いたので、記録に残しておこうと思う。でも読者を想定してしまったらめちゃくちゃ恥ずかしくて乙女のセンチメンタルなポエムは書けなくなってしまったので、経緯と簡単な自己分析と所感だけ書いておく。 経緯 9月16日 twitterを始める。 10月10日 彼にReplyしてみる。 10月12日 同じ地元繋がりでDMのやり取りが始まる。 DMの内容は仕事の話が主。敬語だし。頻度は1DM/日。好きとかっていうより師匠だと思ってた。 11月5日 この辺から2~3通/1日の頻度でやり取りするようになる。 11月20日 下の名前で、ちゃん付けで呼ばれる。恥ずかしくて死にそう。 昼休みと帰宅時にDM見るのがすごい楽しみ。通勤時の車の中でも考えてるなんて、すでに恋愛真っ只中だ。あせってセーブしようと目論んで、お兄ちゃん

    twitterで知り合った人と付き合う事になりました。経過と所感など。
  • 消去できないメールが来たのでみんなの力を借りました:ハムスター速報 2ろぐ

    消去できないメールが来たのでみんなの力を借りました カテゴリ消去できないメールが来ました 前スレ:消去できないメールが来ました http://hamusoku.com/archives/08519.html 1 : ◆mJd2007Bac :2007/08/11(土) 01:15:08.58 ID:5FIhgilG0 覚えてる人はいるのでしょうか・・・ 先ほど家に帰ってきました、 今日も片手間にでも話を聞いてもらえたらうれしいです。 3 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/08/11(土) 01:16:37.21 ID:5FIhgilG0 最初に、前回直接話を聞いてくれた人、 取り上げてくれたたくさんのブログの中の人 あとそこにコメントくれた全ての人、全部目を通したよ。 おかげさまで自分の中の大きな感情をコントロールできたよ ありがとうござい

  • ワラノート - FC2 BLOG パスワード認証

    ブログ パスワード認証 閲覧するには管理人が設定した パスワードの入力が必要です。 管理人からのメッセージ 閲覧パスワード Copyright © since 1999 FC2 inc. All Rights Reserved.

  • 「Hello」と挨拶し続けてわかった11のこと | ライフハッカー・ジャパン

    ライフハッカー読者のみなさん、こんにちは。 親は子供に「ちゃんとご挨拶しなさい」と言いますが、実は大人が「こんにちは」というチャンスはあんまりなかったりしますよね。「Reader's Digest」には、1カ月間、会う人会う人に「Hello」と言ってみた人の話が載っています。ジョー・キタさんは、道で会った知らない人、サイバースペースで出会った人、鏡の中の自分に向かって「Hello」と言い続けて、11のことがわかったそうですよ。 詳細は、以下にて。 【1】 挨拶するのは意外と難しい 冷蔵庫で固めるゼリーが、時間とともに固くなっていくように、年齢が私たちの心の殻を厚くしていってしまいます。あなたが当は心優しい人でも、急に「こんにちは」と言われた人は、「この人誰?」と警戒心を抱いてしまうかもしれません。ジョーは、49歳の頭の禿げたおじさんなので、カーリーヘアだったティーンの頃より、今の自分は親

    「Hello」と挨拶し続けてわかった11のこと | ライフハッカー・ジャパン
  • ベア速 涙がでちゃうコピペ

    362 名前:躯 ◆jk0cn7Uk1o 投稿日:04/05/23 19:43 ID:YasGQFUA オレは小さい頃、家の事情でばあちゃんに預けられていた。 当初、見知らぬ土地に来て間もなく当然友達もいない。 いつしかオレはノートに、自分が考えたすごろくを書くのに夢中になっていた。 それをばあちゃんに見せては 「ここでモンスターが出るんだよ」 「ここに止まったら三回休み~」 ばあちゃんはニコニコしながら、「ほうそうかい、そいつはすごいねぇ」と相づちを打ってくれる。 それが何故かすごく嬉しくて、何冊も何冊も書いていた。 やがてオレにも友達が出き、そんなこともせず友達と遊びまくってたころ 家の事情も解消され、自分の家に戻った。ばあちゃんは別れる時もニコニコしていて、 「おとうさん、おかあさんと一緒に暮らせるようになってよかったねぇ」と喜んでくれた。 先日、そのばあちゃんが死んだ。89歳の大往

  • こん: 人種差別国家韓国とそれと無縁の日本

    1992年4月、ロス暴動が勃発した。ウィキペディアの辞書によると、暴動のきっかけは、以下のようにあたかも白人と黒人との対立が主原因で、韓国人商店で万引きしようとした黒人の少女を店主である韓国人女性が射殺したことは暴動の原因の一つとのことのようだ。 ・ロス暴動  「1991年3月、スピード違反を犯した黒人男性ロドニー・キング氏を、20人にものぼるロス市警の白人警官が車から引きずり出して、殴る蹴るの暴行を加えた。たまたま近隣住民がビデオカメラで撮影しており、この映像が全米で報道されて、黒人たちの激しい憤りを招いた。 (省略)  ロス暴動でとりわけ大きな被害を受けたのが、コリアタウンであった。韓国人商店の被害総額は、ロス暴動の半分近くにのぼる。  ロス暴動の前年、ロドニー・キング事件の2週間後に、韓国人商店で万引きしようとした黒人の少女を、店主である韓国人女性が射殺するという事件が起こった。事件

    uqa
    uqa 2008/08/16
    戦前日本と黒人社会
  • ばあちゃんと自転車

    俺、老人苦手。 「おばあちゃんこ」とか「おじいちゃんこ」とかってスゴイ。 老人慣れしてるヤツってスゴイ。 電車で席も譲れない。話しかけるの怖い。 年に一回くらい田舎に連れて行かれた時の祖父母との対応に常にいっぱいいっぱい。 敬語で喋っていいんだか、親に話すみたいに普通にしていいんだかわからなくて、困る。 胃が痛くなる。 親がいなくなると、話題ゼロ。 田舎帰るの嫌い。 で、中学に入ってからは、部活や何だとかいって、親の帰省に付き合わなくなる。 高校に入る頃には祖父母なんて、一番他人に近い知り合い程度の認識。 ところが、 去年、じいちゃんが死んだ。 葬式はさすがに帰省。 正直、神妙な面持ちをするのが精一杯。全然、涙でない。感情移入できない。 ばあちゃんにも、結局、何も声かけれず。一言も話さず。 それから一年。 親父がいきなり 「ばあちゃんを東京に呼ぼうと思うんだけど、いいか?」 発言。 いやい

    ばあちゃんと自転車
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