2009年5月28日のブックマーク (7件)

  • 開催中の企画展 | しょうけい館 戦傷病者史料館

    展は、海軍に志願し、戦傷病者となった5名の青年の半生をみつめるものです。 勇ましい軍人の姿、海原や大空に憧れを抱き海軍を志願した青年たちは、入団後の訓練を経て戦場へ赴いていきました。そこでどのような体験をし、何を思い、終戦を迎えることになったのか、5名の証言や手記、資料を通して紹介します。 また、海軍には、水兵、航空兵、整備兵、機関兵など、さまざまな兵種があり、人の適性や希望によって配属が決まりました。兵種によって特徴的な戦傷病、衛生機関や傷病兵の収容体系、海軍病院などについても解説します。 主 催: しょうけい館(戦傷病者史料館) 会 期: 令和6(2024)年6月4日(火)~9月1日(日) 会 場: しょうけい館2階 企画展示室 入場料: 無 料 開館時間: 10:00〜17:30(入館は17:00まで)、7月15日(月)・8月12日(月)は開館 休館日: 毎週月曜日、7月16日(

    開催中の企画展 | しょうけい館 戦傷病者史料館
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    urbansea 2009/05/28
    水木しげるの画・負傷した兵長
  • 廃兵院 - Wikipedia

    廃兵院(はいへいいん)は、戦争または公務のために傷痍を受け、あるいは疾病にかかったことで、後遺症や後遺障害を抱えることとなった軍人に対して恩給を支給し、この功勲ある者を充分に待遇保護するために設けられた施設である。 激しい地上戦が繰り広げられた日露戦争を通じて、数万人規模の負傷兵が帰還した。特に、身体機能の一部を失い、一般的な就労が叶わなくなった者の処遇は社会的な問題となった。政府は1906年(明治39年)4月7日、「廃兵院法」を公布して同年9月1日実施、フランスの廃兵院などに範を求めて整備に乗り出した。8月6日、廃兵院条例(勅令)公布。 初めは東京予備院渋谷分院の一部を廃兵院としたが、翌1907年(明治40年)2月1日には東京府豊多摩郡渋谷村大字下渋谷第二御料地内に移転した[1]。1908年(明治41年)6月1日、北豊島郡巣鴨町(現在の巣鴨公園)に移転[2][3]。この後、第一次世界大戦

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    urbansea 2009/05/28
    田村隆一が「詩人のノート」で子供の頃、遊んだと書いている。>>初めは東京予備院渋谷分院の一部を廃兵院としたが、翌1907年には東京市豊島区巣鴨町(現在の巣鴨公園)に移転
  • 2009-05-27 - mutilation

    2009年のゴールデンウィークは北海道の道東方面を攻めてきました。珍しく1人じゃなくて、2人旅となりました。 セントレアをお昼ごろ飛び立って、新千歳空港へ。レンタカーを借りて、札幌郊外の「モエレ沼公園」へ向かいます。 今回一番楽しみにしていたのがこの公園です。標高62mのおだやかな山容の「モエレ山」が象徴です。美しく気持ちのよい空間でくつろげます。モエレ沼公園 http://www.sapporo-park.or.jp/moere/ ピラミッド型の造形物がたくさんあります。これは名物のガラスピラミッド。 その内部。 これは何でしょうか。トイレのピラミッドです!! プレイマウンテンを登っていきます。頂上ではカイトを飛ばしてる人がいます。昼間の青々とした空の下もいいけれど、夕暮れ時も雰囲気あってよいです。 プレイマウンテンの頂上からモエレ山を眺める。よいカタチしてるなあ。 テトラマウンド。後ろ

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    urbansea 2009/05/28
    北海道紀行 どこまでも続く感じがいい
  • 日向小次郎 - Wikipedia

    四ツ木公園に設置されている日向小次郎のブロンズ像。 ポジションはFW。埼玉県出身で、小学4年時にトラック運転手の父を交通事故(昭和版のアニメでは小さな鉄工所の社長。死因は仕事による過労)で亡くした[2] 母子家庭の4人兄弟の長子。常に翼達の前に立ちはだかってきた負けず嫌いな努力型の天才ストライカー。そのパワー・闘志あふれるプレイや必殺技から「猛虎」と呼ばれる。父の死後、小学生のうちから新聞配達・屋台の手伝いなどのアルバイトに精を出し、家計を助けるためにプロを目指す。そのハングリー精神が日向の強さと人気に繋がった。自他共に厳しい人物で、甘さがある人間に対しては容赦がない。チームではカリスマ的な存在であり、信頼も厚かった。小学生から中学生の間は、沢田タケシや若島津健はずっと彼のことを「キャプテン」と呼んでいた。また、実力を重視する考えから、当時小学3年生で明和FC(募集は4年生からで入団テスト

    日向小次郎 - Wikipedia
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    urbansea 2009/05/28
    「パワー・闘志あふれるプレイや必殺技から「猛虎」と呼ばれる。」 呼ばれる方も呼ばれる方だが、呼ぶ方も呼ぶ方だろう。
  • 立花兄弟 - Wikipedia

    ポジションはFW兼MF。秋田県鹿角市花輪出身[1]。アクロバティックなコンビプレーを得意とする双子のサッカー選手[2]。政夫が兄で和夫が弟。基的には対等な相棒だが、政夫が和夫を先導したり、和夫が政夫を「兄ちゃん」と呼び慕ったりと兄と弟といった面もある。外見はまったく同じであるため見分けがつかず、よく次藤に間違われてその度に「俺は和夫(政夫)だ。いい加減覚えろよな」と文句を言っている。作者も描き分けていないことを明言しているため、政夫か和夫かを見分けるには、背番号の違いか前後のセリフで判断するしか方法がない。出っ歯が特徴。二人でよく石崎を「サル」とからかっていたが、「サルは俺達だ」と自分達もサル顔であることを自覚している。 身軽さを生かして「トライアングルシュート」「スカイラブハリケーン」「ツインシュート」「スカイラブツインシュート」など、アクロバティックなプレーを実践することが多いが[2

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    urbansea 2009/05/28
    キャプテン翼 「スカイラブハリケーン」って、すげえ言葉だ。東洋哲学に通じる。
  • はてなハイク サービス終了のお知らせ

    平素より「はてなハイク」をご利用いただき、ありがとうございます。 「お題でつながるミニブログ」としてご利用いただいていた「はてなハイク」は、2019年3月27日をもちまして、サービスの提供を終了させていただきました。 これまでご利用いただきましたユーザーの皆さまに深く感謝いたします。 誠にありがとうございました。 詳しくは下記をご覧ください。 http://labo.hatenastaff.com/entry/2018/11/19/113653 株式会社はてな

  • 海へ行くつもりじゃなかった - 青色28号

    すみません、のっけから嘘をつきました。最初から海へ行くつもりでした。遅れてきた五月病を退治するために、ひろいひろい太平洋ではなく、東京湾へ。 …横浜へ行って噂のラ・マシンを見てきたよっつう記録です。 ■■■ 思い立ったのは今日の午後。学校へ行く気も起こらず腐っていたところへ、ふと啓示のようなものが舞いおりてきたのです。「ムラシット君、海を見に行くんじゃ」「だ、誰?」「わしは神じゃ」「ええーっ!?」こんな小芝居を日記で披露する必要があるとは思えませんが、とりあえず僕はそんな感じで旅立ちました。 出発したのがたしか4時ごろ、関内駅に到着したのが5時過ぎくらい。駅前のルノアールで2時間ほど潰して、まずは山下公園に向かいます。 横浜のこのあたりってものすごく几帳面に計画されてるんですよね。気持ち悪いくらい。この「気持ち悪いくらい」っていう感覚は最後まで拭えませんでした。 とにもかくにも山下公園です

    海へ行くつもりじゃなかった - 青色28号
    urbansea
    urbansea 2009/05/28
    横浜。すばらしい。桜木町でなく横浜駅にいけば伊東豊雄の風の塔が…。