2010年12月7日のブックマーク (3件)

  • white-screen.jp:サイヨップ流「インセプション」+「トイ・ストーリー」?! おもちゃの戦争CM LG「Something Lurking」

    2010年も絶好調だったUSのスタジオ「Psyop(サイヨップ)」から、凄まじいクオリティのCM「Something Lurking」が登場!韓国の電気メーカーLGによる掃除機のCMだ。壮大な音楽は「インセプション」を、おもちゃの戦いは映画「トイ・ストーリー」を思い起こさせる。CMの舞台はホコリが舞い散るカーペットの海。平和なおもちゃの国に突然現れた恐ろしいサメから、バービー人形やブライスたちは逃れることができるのか?! この臨場感あふれる映像の制作ソフトは3Dアニメーション・ソフトウェアのAutodesk Softimage。カーペットはArnold Renderを使用し、他はMentalRayでカスタマイズしたパーティクルでプロジェクションを施している。テクニカル・ディレクターをつとめたHolger Schönberger(ホルガー・ショーンベルガー)はシェイダーの学位を取得している。

    urbansea
    urbansea 2010/12/07
    逆ズームの画がすごくいい。
  • 隠岐騒動 - Wikipedia

    隠岐騒動(おきそうどう)は、幕末の慶応4年(1868年)に松江藩が実効支配していた隠岐国で発生した騒動。隠岐島民が松江藩の郡代を追放し、80日間にわたる自治を行った[1]。雲藩騒動(うんぱんそうどう)ともいわれる。 寛永15年(1638年)の松平直政の松江への入部以来、江戸幕府の直轄領である隠岐は松江藩の預地となっていた。 隠岐では中村出身の中沼了三が天保6年(1835年)に上京しており、鈴木遺音に儒学を学んだ後、烏丸竹屋町に私塾を開いていた[1]。幕末期には隠岐出身の井上甃介や中西毅男などの若者が上京して中沼に入門しており、中西は隠岐に帰って私塾「膺懲館」を開いていた[1]。 嘉永5年(1853年)の黒船来航以来、隠岐でも外国船の出現や上陸などがあり松江藩では対応を迫られた[1]。松江藩は文久3年(1863年)に、隠岐の軍備増強のため、当時全国的に導入されつつあった農兵制を隠岐で採用し、

  • 蝦夷共和国 - Wikipedia

    12月15日には諸役を決定するための入札(公職選挙のこと)が実施された[4]。この背景として、脱走軍は榎武揚が指導者になっているとは言え、元藩主や元幕府老中といった大名クラスも参加しており、君臣の関係が複雑であったこと。また「陸軍派」と「海軍派」のグループもあり、「陸軍派」の中も、「彰義隊」と「小彰義隊」等の小グループがあり、全体として一枚岩に纏まってはいなかったことが挙げられる。ただし、この入札(投票)に箱館の住民は参加しておらず、旧幕府軍でも入札に参加したのは士官以上の者で旧幕府脱走軍の総数の3分の1程度にすぎず共和制といえるような公選ではなかった[4]。 「投票」総数856票の内訳は、以下の通りであった[7]。 榎釜次郎 156 松平太郎 120 永井玄蕃 116 大鳥圭介 86 松岡四郎次郎 82 土方歳三 73 松平越中 55 春日左衛門 43 関広右衛門 38 牧野備後 3

    蝦夷共和国 - Wikipedia