2011年4月1日のブックマーク (7件)

  • 仙台の津波と都市計画 - mezzanine

    昨年に仙台に赴任して、初めて仙台市内の高層ビルから目にした仙台の風景に、異様な感じがしたのをよく覚えている。 仙台市内のビルからは遠く太平洋まで望むことができるが、太平洋側を見渡したとき、仙台の「市街地」と、市街地の周囲に太平洋まで広がる「農地」との区分のコントラストが鮮やかに見えたからだと思う。 高いところから見ると、仙台市の沿岸地域が田畑などの農地として利用されているのがよくわかるが、この風景は、湾岸を積極的に開発してきた東京で過ごしてきた私にとっては新鮮に見えた。 これは東京に限らず、大阪、福岡、広島といった海沿いに発展してきた大都市をみてもそうだが、都市の発展は沿岸・水辺の開発とセットになっている、という固定観念があるせいなのだろう。 しかし、仙台はこれらの水辺に広がる都市とは対照的である。海から離れた青葉山に城を築き、そこを起点に街が広がった、といった趣がある。宅地も、海沿いでは

    仙台の津波と都市計画 - mezzanine
    urbansea
    urbansea 2011/04/01
    >>仙台市は市街化区域の拡大抑止の方針を打ち出しているが、もし、区域区分の見直しで市街化区域をより沿岸に広げていたならば、被害はより大きなものになっていたはずである。
  • 西本明和 - Wikipedia

    西 明和(にしもと あきかず、1948年10月11日 - )は、愛媛県松山市興居島出身の元プロ野球選手(内野手、投手)。 巨人、中日、オリックスで投手として活躍した西聖は実弟。 来歴・人物[編集] 愛媛県立松山商業高等学校では1年生の秋からエースとなる。1964年秋季四国大会県予選準決勝に進み、今治南高の金子準一と投げ合うが敗退。1965年夏の甲子園予選北四国大会でも決勝に進出。高松商の小坂敏彦との投手戦となるが、1-2で惜敗し甲子園出場を逸する。1年上のチームメートに末永正昭がいた。 翌1966年夏は北四国大会決勝で高松一高の久保陽二(早大-高松一高監督)に投げ勝ち、エース、四番打者として夏の甲子園に出場。準決勝では横山晴久投手を擁する小倉工に苦戦するが1-0で完封勝ち。しかし決勝では、春の選抜の優勝校である中京商の加藤英夫、矢沢正のバッテリーに抑えられ1-3で敗退、準優勝にとどまる

    urbansea
    urbansea 2011/04/01
    西本聖の兄 甲子園準優勝投手 カープにドラフト1位 投手→野手
  • 運賃暴騰 大阪から盛岡まで50万円|物流ウィークリー・物流と運送、ロジスティクスの総合専門紙

    東日大震災の発生後、関西地区からも東北地方に向けて緊急支援物資の輸送依頼が相次いでいる。しかし、燃料の供給制限など不安材料があることから、東北方面に実際にトラックを走らせるところは少ない。 一方で、運賃が急激に跳ね上がっている現象も出てきており、大阪から岩手県盛岡市まで50万円という運賃情報も確認されている。50万円の仕事を提示されたという東大阪市の運送会社では「行ったはいいが、帰って来られないという事態も想定される。確実に戻って来られる保証がなければ動けない」と、その仕事は断った。 一般貨物では運賃に変動は見られないが、緊急支援物資については行き先によって運賃が上昇しているようだ。 東大阪市の運送会社によると、50万円の運賃仕事は震災発生日の翌々日、13日の日曜日に依頼があった。大型トラックで盛岡市までの輸送で荷物は毛布。しかし、トラックが見つからないこともあり、一時的に運賃が高騰した

  • 古墳ギャルのコフィー 第7話(前編)

    海水浴場で泳ぐ古墳が何者かに襲われ、「中の人」を奪われる事件が頻発。コフィーはサメの仕業だと断定するが、人々は信じてくれない。コフィーは嫌がるダニエルを引き連れて、桶狭間先生の船で海に出るが。

    古墳ギャルのコフィー 第7話(前編)
    urbansea
    urbansea 2011/04/01
    イマジナリーラインの裏をかくネタ。
  • パスワード認証

    にゅーす特報。 「ニュー得ブログ」が「にゅーす特報。」と名前をかえて生まれ変わりました!

    パスワード認証
    urbansea
    urbansea 2011/04/01
    「ああ、偽善で売名ですよ。偽善のために今まで数十億を自腹で使ってきたんです。私のことをそういうふうにおっしゃる方々もぜひ自腹で数十億出して名前を売ったらいいですよ」
  • 一人の市場参加者から見た、原発リスク管理のまずさ

    福島原発の事故収拾のめどは立っていない。それどころか発表されるデータや状況はあまり芳しくないものが目立つ。この状況がいつまで続くのかという不安が人々の行動に大きな制約になっており、復興への道筋に大きな障害となっている。 リスク管理の観点からは、今回の事件はまさに失敗のオンパレードのように見える。 第一の問題点は、過去の成功体験や経験則に依存しすぎた「自信過剰」であろう。初期段階で官邸はフランスからの支援の申し出を断ったという。自力で何とかできるとおもったのか?その背景はわからないが、ともあれ首相が現地視察といういきなりのパフォーマンスにつながったのは、やはり裏を返せば自力で何とかできるという過信の表れといえよう。保安院は全国の原発に対して、今回のような事態があった場合(想定外の津波で緊急用電源まで使えない事態など)を想定した対策の見直しを指示したそうだが、それは裏を返せばこれまでそのような

    urbansea
    urbansea 2011/04/01
    アナウンスによって織り込みずみにする必要
  • デーモン・コア - Wikipedia

    この項目「デーモン・コア」は翻訳されたばかりのものです。不自然あるいは曖昧な表現などが含まれる可能性があり、このままでは読みづらいかもしれません。(原文:en:Demon core) 修正、加筆に協力し、現在の表現をより自然な表現にして下さる方を求めています。ノートページや履歴も参照してください。(2021年3月) デーモン・コア(demon core)は、アメリカの核兵器開発プロジェクト「マンハッタン計画」で、初期の原子爆弾の核分裂性コアとして製造されたプルトニウムの未臨界塊である。直径89mmの球状で重量は6.2kg。1945年8月21日と1946年5月21日の2度、臨界状態に達する事故が発生した。 このコアは、日に投下される可能性のある第3の核兵器に使用される予定だったが、日の降伏によりその必要がなくなったため、実験に使用された。炉心は、爆弾の爆発を確実にするために、わずかな安全

    デーモン・コア - Wikipedia