2011年4月8日のブックマーク (5件)

  • 「神田うのが阪神大震災のとき死者の数を賭けていた」というデマ 本人は全否定するが実は本当だった?:夕刊ガジェット通信

    3月23日にガジェット通信でも取り上げた話題の“「神田うのが阪神大震災のとき死亡した人の人数を賭けてた」というデマがネットに出回り人激怒!”に対してタレコミがあったのでお伝えしたい。 送られてきたのは雑誌『uno!』(1997年11月号)の雑誌の1ページ。そこには春風亭小朝さんと神田うのさんのインタビュー記事が掲載されており、インタビュー記事の一文に“そのあとまた、「ねぇ、うのちゃんが何人くらい死ぬと思う?」なんて、番組のスタッフに誘われて賭けみたいなことをやっちゃったんです。そのことがすご~い自分の中で残ってて……。(神田うの)”と書かれている。この雑誌を読む限りハッキリと神田うのさんは賭け事をしていたと答えている。 しかしながら神田うのさん自身のブログや雑誌SPA!ではこのことを否定しており、その点では完全に矛盾している。さらには『Wikipedia』にまでこの件が書かれるが現在は削

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    urbansea 2011/04/08
    97年の時点では、このような発言が雑誌媒体に出てしまうのである。不謹慎に寛容な時代であったのか、あるいは60年代に戦争娯楽映画が作られたのに似て、出来ごとの風化なのか。
  • 月刊「正論」の大震災特集が抱腹絶倒だった件――西部邁を中心に by 後藤和智

    後藤和智@技術書典-え13/仙コミ・冬コミ・文フリ京都申し込み済み🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @kazugoto つーわけで、月刊誌「正論」平成23年5月号に、あたしを笑わせる気満々の大震災特集があるのだが、その中での、西部邁の「出でよ、健全なナチ・ファッショ」が抱腹絶倒という言葉では表せないほど抱腹絶倒だったので感想を連続tweetするのぜ。togetterは自分でまとめるからね。 2011-04-07 22:53:54 後藤和智@技術書典-え13/仙コミ・冬コミ・文フリ京都申し込み済み🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @kazugoto まず最初に、西部の危機管理観について《「危機」とは、「管理し難き状況」のことで、それゆえ「危機管理」とは「管理困難な状態を管理する」という逆説めいた課題への冒険にほかならないということである》と。俺の知ってる危機管理とは違う、と思ったけど、まず吹いたのはこの後に

    月刊「正論」の大震災特集が抱腹絶倒だった件――西部邁を中心に by 後藤和智
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    urbansea 2011/04/08
    革命家あるいは予言者のふるまい。>>いい加減災害に「意味」をつけるのはやめていただきたい。
  • ヴァーヴ・レコード - Wikipedia

    ヴァーヴ・レコード(Verve Records)は、1956年にノーマン・グランツにより設立されたアメリカのジャズ・レコード会社。現在はユニバーサル ミュージック グループ(UMG)の一部となっており、またヴァーヴ・レーベル・グループ(Verve Label Group)の体となっている。 1956年 ノーマン・グランツによりヴァーヴ・レコードが設立。 1961年 グランツはMGMに300万ドルで売却。 1964年 フォーク・ミュージックを補足するためヴァーヴ・フォークウェイズを設立。 1967年 MGMはポリドールに売却、ヴァーヴはポリグラムの系列に入り、名プロデューサー、クリード・テイラーが主導を取ることとなる。同年、ヴァーヴ・フォークウェイズが、ヴァーヴ・フォアキャストへと名称変更。 1980年 ポリグラムはデッカ・レコードを買収、デッカのジャズ部門がヴァーヴに入る。 1998年

    ヴァーヴ・レコード - Wikipedia
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    urbansea 2011/04/08
    ここのセロハンがやたらと剥がしにくくて、学校の教室で隣にいた女に剥がしてもらったことがある。それがきっかけで恋に落ち、今も私のそばに居る…なんて話になっていたら、どんなに素晴らしい人生であったろうか。
  • 中学の同窓会でわかった「本当の凡人」の悲惨さ

    まぁ、みんな聞いてくれ。お前らがどんな仕事をしているかわからんが、はてなを使いこなすようなディープなネットユーザーはそれなりに充実した毎日を送っているだろう(と信じたい)。 俺も国立大を卒業して(東大じゃねえぞ)、その業種内じゃそこそこ名の知れた企業に入ることはできた。毎日どうでもいいことで怒られるわ、地雷を避けるためだけに残業させられるわでほんと大変だよ。周りを見ても似たような感じで「ああ、俺って凡人だな」なんて平々凡々としてサラリーマン生活を送っている。 そんな時に中学の同窓会の知らせが来た。中学の頃の友人なんてぜんぜん連絡を取っていない。手紙のやり取りすらしている人間もいない。けど、参加してみることにした。あの頃の奴らが今何やっているかが気になるし、愚痴の共有でもしてストレスを発散しようと思ったんだよ。それなりにワクワクしていた。会場につくまでは。 「誰とも連絡を取っていない」──思

    中学の同窓会でわかった「本当の凡人」の悲惨さ
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    urbansea 2011/04/08
    私の育った地域の私の世代では、工業高校卒は地元コンビナートの工場(東証一部)に就職でき、まともな人生を得ている。うっかり進学校にいき、あげく三流私大にいった私など敗北者として生きているしかない。
  • 清雲栄純 - Wikipedia

    清雲 栄純(きよくも えいじゅん、1950年9月11日 - )は、山梨県塩山市(現:甲州市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者、ラグビー選手、法政大学スポーツ健康学部教授[2]。サッカー選手時代のポジションはDF。 中学時代までは野球をしていた[3]。山梨県立日川高校入学後、クラス対抗ラグビー大会の活躍によりまずラグビー部からスカウトされ、その後サッカー部にも入り、両部を掛け持ちするようになる。サッカーでは県大会3位止まりだったが、主にフルバックやウイングとしてプレーしたラグビーでは3年生の時に全国高校ラグビー大会で準々決勝まで進出し、大会ベストフィフティーンにも選ばれた。高校時代の同級生には有賀健とジャンボ鶴田がいる。一般入試で法政大学社会学部社会学科へ入学し、在学中はサッカー部に入り、4年時にはキャプテンを務めた。 清雲は目立った実績がない無名選手だったため、日サッカーリーグ(JS

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    urbansea 2011/04/08
    中学時代までは野球。日川高校入学後、クラス対抗ラグビー大会の活躍によりまずラグビー部からスカウト。その後サッカー部にも入り、両部をかけもち、サッカーでは県大会3位、ラグビーでは全国大会でベスト8