かつての吉備国の中心地域で、吉備分国後は備中国の国府が置かれ、国府が廃れた後も備中国総社宮が今に残る。総社市総社地区は備中国総社宮の鳥居前町・街道の宿場町・浅尾藩の陣屋町として栄え、総社宮を中心に町が構成されていたので通称「総社」と呼ばれていた(この頃の正式な地区名は「八部(やたべ)」)。これが今日の総社という町の名の起源。 桃太郎伝説のモデルとされる吉備津彦命と鬼神・温羅の伝説が古来より残り、温羅の居城でもある「鬼ノ城」跡がある。また、画聖・雪舟の生誕の地でも知られ、備中国分寺や大小多数の古墳など遺跡・史跡が非常に多い。 現在の総社市は2005年に初代・総社市、都窪郡山手村、清音村の1市2町が合併したに伴い、新設された2代目の市である。また総社市と倉敷市真備町(旧・吉備郡真備町)で総社圏を構成しており、ごみ処理は同圏域において行っている[1]。 かつて、同じ吉備郡だった岡山市北区足守・高