曽根 晴美(そね はるみ、1937年9月5日 - 2016年6月16日)は、日本の俳優・映画プロデューサー。大阪府大阪市出身。別名義は曽根 将之。所属事務所はサイプロダクション。 来歴[編集] 学生時代は野球に打ち込み、日本プロ野球・東映フライヤーズの支配下に入るが、負傷のため正式契約前にプロ野球選手を断念。進路に迷う中、「東映がニューフェイス募集している。変わった顔だから入れ」と勧められ写真と履歴書を送付したところ、1957年(昭和32年)に第4期東映ニューフェイスに選ばれる[1]。『明星』1962年4月号の曾根(曾根晴美表記)のインタビューでは「大阪商業時代に主将・遊撃手として甲子園出場目前まで行ったが敗退し、練習生として近鉄パールスに入団した。しかし野球に見切りをつけて映画界に入った」と話している[2]。同期には佐久間良子・水木襄・室田日出男・花園ひろみ・山口洋子・山城新伍らがいた。