ブックマーク / yoghurt.hatenadiary.com (26)

  • 川崎 - 未来の蛮族

    川崎の事件のことをはじめて耳にしたとき、何とも言えず嫌な感じがした。頭で「嫌だな」と思うのではなくて、腹からドス黒い液体がじっとりと染みだしてくるような肉体的な実感があった。あれほど残虐なことが行われたのだから、当たり前といえば当たり前。なのだけど、おれにとってはちょっと珍しいことではあった。これまでどれだけ残虐な事件を目にしたって、わりと平気だったのだ。というよりも、正直なところ、それらを楽しんでさえいた。どんなひどいことが起こったとしても、ニュースラインに乗ってしまえばコンテンツで、それを安直に消費することを全くためらわなかった。良心の呵責を覚えることもほとんどなかった。殺した人にも、殺された人にも、それぞれの人生があって、家族や友人がいて…。そうしたことを、想像する回路がおれには備わっていなかった。仮に想像したとしても、それはコンテンツをより楽しむためのスパイスの役目しか果たさなかっ

    川崎 - 未来の蛮族
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    urbansea 2015/03/18
    一人称「おれ」でこその、テキスト。ひとさまとの共感や知恵の共有でなしに、おれに見えるもの。
  • 「サザエさん」は、誰がみた夢なのか? - 未来の蛮族

    長かった夏が終わり、秋が来る。やがては冬が訪れる。季節は確かに巡りゆくのに、時間は循環したまま、永遠にそこに留まっていて、その世界の住人は誰ひとりとして年をとらない。死ぬものもいない。俗に「サザエさん時空」なんて呼ばれたりするこの時間感覚は、よく考えてみると相当におかしいのだけど、何しろ「サザエさん」といえば、僕が物心つくよりずっと前から放映されている国民的アニメなので、「それはもとよりそうしたもの」として受け止めていて、「なぜ、サザエさんは年をとらないのか?」なんてことを考えたことは一度もなかった。でも、この時間感覚は何かに似ているんだよなあ……そんな風に思いながらも、生活のなかで「サザエさん」のことを真剣に考える瞬間なんてそうあるものじゃないので、僕にとって、サザエさんが年をとらない理由は、謎とすらも意識できない漠然とした謎でありつづけていた。生まれ育った家を出て、ひとり暮らしをして、

    「サザエさん」は、誰がみた夢なのか? - 未来の蛮族
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    urbansea 2013/10/29
  • 映画「風立ちぬ」と、なかったことにされた人生 - 未来の蛮族

    風立ちぬ サウンドトラック アーティスト: 久石譲,読売日交響楽団出版社/メーカー: 徳間ジャパンコミュニケーションズ発売日: 2013/07/17メディア: CDこの商品を含むブログ (47件) を見る国民的作家、なんて大仰な呼び方が許されるのは、この国では村上春樹と宮崎駿くらいのものだろう。その国民的作家の、最後の作品(?)になった「風立ちぬ」を、9月9日の時点で788万人が観たらしい。 http://mantan-web.jp/2013/09/10/20130910dog00m200015000c.html それで、恥を偲んで告白すると、おれはこの映画をみて、けっこうひどい勘違いをしてしまっていたんだよね。 「風立ちぬ」が、堀越二郎の半生と、堀辰雄の小説をミックスしたものであることは知っていたけれど、それは当然、堀越二郎の人生に堀辰雄の小説と重なるものがあるからだと思っていたのだ。

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    urbansea 2013/09/18
  • カフェでよくかかっているJ−POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生/渋谷直角 - 未来の蛮族

    帯には「誰かをバカにするマンガと思ったら大間違いだ!」という久保ミツロウ先生の力強いお言葉があるし、著者である渋谷直角氏はあとがきで「彼らに対して、こちらの何かの一つの価値観や上から目線をもって小馬鹿にしたり、それじゃダメだ、と断定して描いているのではなく」とはっきりと記していて、それはけっして嘘ではないのだろうけども、この作品を読んで感じたのは、やはり強烈な悪意、だった。小さな世界でもがくサブカル民を単に馬鹿にするのではなく、ある種の愛情をもって描いていることは、特攻の拓の天羽セロニアス時貞に匹敵するほど感動的な宮沢賢治使いをみても明らかなのだけど、散りばめられた固有名詞の群れからは、それを上回るほどの悪意を感じてしまう。 「バンプオブチキンと空の写真ばかりアップしているブロガーの恋」や「ダウンタウン以外のお笑い芸人を基認めていないお笑いマニアの楽園」は、そもそもタイトルに固有名詞が入

    カフェでよくかかっているJ−POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生/渋谷直角 - 未来の蛮族
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    urbansea 2013/09/05
    ここでいうサブカルが、私が通過したサブカルとまるで違うので驚く。たとえば別冊宝島の二桁代では「天皇入門」があり、その後同じ版元の「宝島30」は皇室スキャンダル(で被弾)を扱う。それさえもサブカルだった
  • ブログがカナしくなる前に - 未来の蛮族

    はてなダイアリーが10周年を迎えるのだという。 10年……。もちろん、祝福したい気持ちはあるのだけど、どちらかと言えば、ゾッとしたというのが正直な感想である。 10年間もブログを書き続けるということに、言いようのない恐ろしさを感じてしまうのだ。 「ホットエントリーが、そんなにもうれしかったのかね?」 「そんなにも言葉を書き連ねて、いったい誰に何を伝えたかったというのかね?」 「十年ブログを続けても、まだ書くことが残っているのかね?」 内なる声が、ムスカ大佐の口調で僕を問いつめてくる。 不毛な論争にうつつを抜かしている間に、僕らはあっという間に年をとっていく。 実際、ブログを十年もつづけることは誰にとっても危険なことだ。 更新すればするほどに、ブロガーの文章は悲しみを帯びてゆく。 栄華を極めたようなアルファブロガーであっても、その例外ではない。だって、そうだよ。長い間ブログを書いていれば、楽

    ブログがカナしくなる前に - 未来の蛮族
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    urbansea 2013/01/30
    バンドに置き換えて読むと、悲しい。
  • 祖父の長い旅 - 未来の蛮族

    土曜の夜は、祖父母の家で夕を過ごすことになっていた。 波の上という街に住む祖父母の家には、泊大橋という橋をこえていかなければならない。橋から見下ろす港にはたくさんの貨物船が止まっていて、なぜかそれらの甲板には決まって大きな犬がいた。 どうすれば船のうえで犬を飼うことができるのだろう? 子供ながらにそう思っていたし、それは今でも解くことのできない疑問だ。もしかすると、あれは夢でみた風景だったのかもしれない。 祖母がくれるお菓子はいつも亀田製菓の「雪の宿」だったこと、テレビにはクイズダービーが映しだされていたこと、祖父母と同居するS叔父が僕たち兄弟に折り紙を教えてくれたこと、幼い時分の記憶はどれも断片的で、はっきりせず、たよりない。 なかでも祖父の記憶はおぼろげだ。 僕がかろうじて覚えているのは、部屋の片隅で、しずかに泡盛を飲む祖父の姿だ。ほんとうに水のように酒を飲む人で、それで乱れるという

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    urbansea 2012/12/03
  • ねむりつづけるどうぶつの森 - 未来の蛮族

    先日、彼女に別れを告げられた。これで30回目くらいになるだろうか。悪いのはいつだっておれなのだが、おれはどんなときでも謝ったりしない。ただ、ひたすらなだめるだけだ。そして、今回ばかりはもうなだめるだけではどうでもならない気がしている。どうしようなかなあ、なんて途方に暮れながら、おれは質とは全く関係ないことを考え始めていた。「おれの村はどうなってしまうんだろう」そんなことだ。 「おいでよどうぶつの森」は, プレイヤーであるあなたが、 現実の世界とは違う架空の世界で気ままに 暮らすことができるゲームです。 (「おいでよどうぶつの森」取扱説明書より) 「おいでよどうぶつの森」では、1のソフトで四人まで住人をつくることができる。家は一軒しか建てられない。必然的に同棲することになる。同棲話も出ていたおれたちはひとまず先にゲームの中で暮らし始めることになった。 村の名はマコンド村という。マコンド村

    ねむりつづけるどうぶつの森 - 未来の蛮族
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    urbansea 2012/11/08
    >>そして、おれがこのゲームをやることは二度とないだろうから、彼らはこれからもずっとふたりで眠り続けてゆくのだ。
  • 東京の島々II - 未来の蛮族

    一年ぶり二度目の神津島。 東京で一番かっこいいアニメイト。

    東京の島々II - 未来の蛮族
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    urbansea 2012/06/27
  • 子供の王国 - 未来の蛮族

    どうして、こんなことになってしまったのだろう。 この階段をみると、その疑問の答えも何となくわかったような気になる。おれには建築工学の知識が全くないので、もちろんこれは素人の印象に過ぎないのだけども、これでは全く強度が保てないのではないか。これほど頼りない階段をみたのは生まれてはじめてのことで、登っている間は全く生きた心地がしなかった。天井も、真横からみるとまるでウエハースのように薄っぺらい。こんな弱々しいものの上で、とんだりはねたりしていたかと思うと心底ぞっとした。そういえば、下の階には、人間の頭ほどのコンクリートの塊が転がっていた。ということは、それがいつおれの頭を直撃してもおかしくなかったってことだし、おれがいつこの屋根を踏み抜いてもおかしくないってことだ。 この建物のデザインは大変に素晴らしい。地形を活かして、建物の中に坂道があったりするところなんて最高に興奮する。どうってことのない

  • バカが床屋談義して、何が悪いの? - 未来の蛮族

    バカな人間は喋ってはいけない。無力な人間は何もするべきではない。優秀な僕たちの邪魔になるからね。 これはおれの被害妄想である可能性が高いんだけど、どうもそこかしこでそんなことを言われているような気がしてならない。 バカと暇人のものであったはずのインターネットにまでこうした論理が幅をきかせるようになった気がして、おれはとてもさびしい。まあ、皆の言わんとすることもわからないじゃない。自分の専門分野で、まったく見当違いなことをわあわあ喚かれたら、うっとうしくもなるだろう。バカはたいていこれまで議論の前提を無視して話をはじめてしまうし、自分の感性に無意味な自信を抱いているもんだから、もう全く勉強なんてしないもんな。最近の世の中の動きからすると、バカが好き勝手に喋りだすことは「うっとうしい」を超えて「恐ろしい」の領域に足を踏み入れているような気もするし。 それで、みな「バカは黙れ」っていうわけだ。

    バカが床屋談義して、何が悪いの? - 未来の蛮族
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    urbansea 2011/12/10
    なりふり構わず わがまま放題 自分の欲求をいう、それが戦争に反対する正しい姿である。増村「清作の妻」や若合春侑「世閒様かくありき」。それを抑えこむのは世間、はてなという世間においては「理系」という権威。
  • 金沢、ひがし茶屋街 - 未来の蛮族

    ひがし茶屋街ではボランティアらしき男性がお座敷文化のことをいろいろと説明してくれたのだけど、何と言うかこう、独特な雰囲気を持った人だったね。良くいえば貴族的、悪くいえば高慢な感じでさ。「来であれば一般人は絶対に入ることはできませんよ」ってフレーズを十二秒に一回は話に織りまぜてくるわけよ。おれなんかは、ほら、労働者階級に属する若者だからさ。そういう話をきくとだんだんイライラしてしまったりするわけよ。でも、一方で、「もし家を建てることがあったら、この中庭の造りはぜひとも真似したいもんだなあ……」なんていうプチ・ブル的な心性を発揮してしまったりもして。 そんな日和った態度をプロレタリアートとしてのおれは許さないよね、当然。貧乏人が金持ちの文化に憧れたって空しいだけやろ的なことまでいいだしはじめるわけよ。そしたら、小市民のおれもさ、綺麗なもんを綺麗と言って何が悪いんやって反論するしね。お互い一歩

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    urbansea 2011/11/27
    正対でおしているのがいい。
  • Ruins of Aerial railway - Yなき世界

    今となってはもう、廃墟を訪れても何の喜びも感じない。三十近くになってもまだこんなことに興じている自分の愚かさが身に染みるばかりだ。年齢的な問題は置いておいたとしても、あれほど恐ろしい大破壊のあとに、このような呑気な写真が許されるはずもない。 地震のあとに浪江町を闊歩した牛や豚の写真、ロンドン暴動のさなかにAmazon.ukで金属バットがバカ売れしたというニュース、これらをたとえば10年前、ティーンエイジャーだったころの僕が目にしていれば、きっと初めて廃墟に足を踏み入れたときのようにわくわくしていたはずだけれども、サラリーマンとなった今の自分にとっては、ひたすら気を重くさせるだけのニュースでしかない。 今週なんか、ずっと医療保険とがん保険の検討をしていたんだぜ。メットライフアリコと東京海上日動、あとは共済系、この辺りがいいんじゃないかと思っているのだけど、なかなか決めることができないでいる。

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    urbansea 2011/10/31
    散歩の達人のところ? うまい写真。
  • 東京の砂漠(OHT.6) - 飲めヨーグルト

    砂漠を、なめていた。ミルクを流したような霧が視界を覆うこの天上世界では、方向音痴なおれの感覚など全くあてにならないから、おれは石で記された登山道から一歩も外れることができなくなってしまう。吹きすさぶ砂塵が、おれのカメラのAFを狂わせる。無限遠では、もうまるっきりピントがあわない。ダストリダクションでも排除することのできないゴミがセンサーにへばりついてゆく。 目の前の光景は信じられないくらいに美しいのに、それらをうまく写真におさめることはできそうもない。三脚をおさめたザックが疲れた身体に重くのしかかる。三脚と雲台、あわせて2キログラム。おれはひどくのどが乾いている。残った水は、500ミリリットルのペットボトルに半分ほど。使いもしない三脚を置いてくれば、代わりに水を2リットルも持ってくることができたはずだ。おれは思う。どうしてこうなった……。 金曜の、夜。残業を放棄したおれは部屋に戻ってシャワ

    東京の砂漠(OHT.6) - 飲めヨーグルト
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    urbansea 2011/08/06
    最後から2枚目、それが最後だと、カタルシスがよりあって、もっとよかったかもね…と。映像屋の感想。
  • マイ・バック・ページ - 未来の蛮族

    「『真夜中のカーボーイ』でもダスティン・ホフマンは『怖い、怖い』っていって泣いたの。憶えている?」 「いや憶えていない。泣く男なんて男じゃないよ」 「そんなことないわ。私はきちんと泣ける男の人が好き」 そんな会話をした。 「あの映画の中でダスティン・ホフマンが『アイム・スケアド』(私はこわい)『アイム・スケアド』というところがある。そこがすごくよかった。僕も直接行動をしようと思うとき、とてもこわくなるんだ。『こわい』『こわい』って思う」 マイ・バック・ページ - ある60年代の物語 作者: 川三郎出版社/メーカー: 平凡社発売日: 2010/11/26メディア: 単行購入: 8人 クリック: 66回この商品を含むブログ (50件) を見る 原作ではとくにつながりを持たないこのふたつの場面を、ひとつの文脈でつないでみせた。この映画のいちばんに見事な点はそこだと思う。原作にはないエピローグ

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    urbansea 2011/07/23
    >>たとえば、それはCCRであったり、宮沢賢治であったり、資本論だったりするのだろう。彼らはそうしたアイテムを何一つ知らないであろう、殺された自衛官に共感することはできないのだ。
  • せめて、もっと人殺しの顔をしろ - 未来の蛮族

    TVでは、芸能人が我々に呼びかけている。「デマに騙されないようにしよう」ずいぶんと難しいことを言ってくれる、とおれは思う。デマに騙されようと思って騙される人間はいない。みな、正しいことをするつもりで間違えるのだ。 芸能人たちはこんなことも言っていた。「被災者の気持ちになって考えよう」確かにこれは大事なことだ。けれど、難しい。とりわけおれのような人間にとっては。おれは頭が悪いから、福島の原発について、土地を奪われた人間の気持ちをほんとうには想像することはできない。ただ、自分に置き換えて考えてみることしかできない。 もしも、自分の住む街に原子力発電所があったらどうだろう? 自分の故郷が、放射性物質に汚染されてしまって、二度と帰ることできなくなってしまったらどうだろう? しかも、その原子力発電所は遠く離れた東京に電気を供給するための施設なのだ。なぜ、自分たちだけが、東京の犠牲にならなければならな

    せめて、もっと人殺しの顔をしろ - 未来の蛮族
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    urbansea 2011/04/16
    「そんな汚いものは地方に作れ」が東京の風土。石原はそれを権力者あるいは行政法上の機関としてそれを言い放ち、私はその恩恵を受ける。
  • それからの十日間 - 未来の蛮族

    あの地震のあとには、あらゆるものの見え方が変わってしまった。というのはやはり言い過ぎで、変わるものもあれば変わらないものもある。今日の気分はどちらかといえば、変わっていない、という方向に流れているかもしれない。それでも、風のにおいや空の色は確実に変わってしまったような気がしているのだけども、きっと変わってしまったのは、おれの方なのだと思う。被災に遭われた方々のことを思えば、こんなのんきなことを記していくのはおかしいし、拙い上に何の実用性も持たないこの文章だって、電力によって記録され、送信されているのだから、ほんとうに申し訳ないと思うのだけど、最近のおれはよく空をみるようになったし、桜のつぼみが開きはじめたことにも気がつくようになった。 ▽ もちろん、それは地震から一週間以上経った今だから言えることだ。地震の翌日、3月12日には、ずっとテレビとネットを眺めていた。翌々日の3月13日もそうだ。

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    urbansea 2011/03/21
  • ゆとりをうらやむ歌 - 未来の蛮族

    人類がいちばん腐っていた時代に生まれ育った老人たちが、今日も若者たちを罵っている。彼らが言うには、最近の若者たちは「とにかく覇気がない」し、「ゆとり教育のせいで競争心を失い」「向上心も持たず」「欲しいものさえもない」「去勢された羊のような連中」であるらしい。「これだからゆとりは」何度この文字列を目にしたことだろう。僕には老人たちの言うことがよくわからない。いわゆる「ゆとり」と呼ばれる若者の性質は(仮にそれが評判通りであれば)この、衰退していくかつての先進国で生き抜くための、最適解であるようにしか思えないからだ。夏には夏の、冬には冬の過ごし方がある。熊だって冬になれば眠りにつく。まして、この冬には春が約束されてはいないのだ。老人たちは、「どうして夏のように歌い踊らないのか?」などといって若者を責め立てるけれども、そこにはキリギリスがアリを説教するかのような滑稽さしかない。 やはり、どう考えて

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    urbansea 2010/11/26
    日ごろゲームをやらない私が、グランツーリスモには惹かれるのは、これが理由か。>>僕は未だに自家用車を持ってはじめて一人前の大人になれると考えているふしがあるし、できることなら下品なくらいゴージャスな…
  • 十年前、教室で - 未来の蛮族

    先日、とうとう28歳になってしまいました(1982年生)。昔を懐かしんでセンチメンタルな感傷に浸っても許される、そんな年齢になったんだなー。というわけで、今日は十年前高校生だったおれが十年前の教室ではどんな音楽が流れていたか。その辺のところを書き残しておきたい。ただ、おれの記憶はすでにあいまいであって、高校生だった三年間(1998.4〜2001.3)の出来事が、だいたい一年分くらいの容量に圧縮されてしまっている。時系列とか、事実関係はそうとうにいい加減なものになっていることが予想されるので、そこら辺は適当に補って読んで頂きたく。また、おれは沖縄の高校に通っていたので、局地的な流行も混じっているかもわからない。 あのころのトレンドを一言で言えば「ビジュアル系の終わり、パンク・ミクスチャーバンドの台頭」ということになるかと思う。もちろん、その当時というのはビジュアル系はまだまだ現役で、GLAY

    十年前、教室で - 未来の蛮族
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    urbansea 2010/10/16
    1982年生まれのブログ主による。こういうのは、ひねらないほど面白い。
  • 黄金町バザール - 未来の蛮族

    ピンぼけもやむをえないほどの愛らしさ。 高架下に、意味ありげなしるし。 意味なさげな雑巾。 ※参考 今年の黄金町バザールは、とにかく日ノ出竜宮へ 「黄金町バザール」とは結局なんなのか

    黄金町バザール - 未来の蛮族
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    urbansea 2010/10/06
    儚さと退廃、死の匂いの名残。
  • 足尾銅山には早すぎる(OHT.5) - 未来の蛮族

    レベル上げ、というものを一切やらない子供だった。おれは。ゲームは一日一時間、という昭和の家庭にありがちなルールに縛られていたおれにとっては……レベル上げなんて時間がもったいなくって、とても出来たもんじゃなかった。でも、そのうち、弱いままで荒野を旅することが楽しくなってきた。貧弱きわまりないおれのパーティにとっては、「さまようよろい」辺りのモンスターであっても恐ろしい強敵で、新しい町を探すことさえもが毎回いのちがけの挑戦だった。この一撃で相手が倒れなければこちらが全滅する、というシチュエーションでカンダタを倒したときの興奮は、今でも忘れられない。 そんなこんなで味をしめてしまったおれは、長じてからも出たとこ勝負を好むような人間になってしまった。そう機転の利くタイプでもないくせに、計画と準備なんてカッコ悪いね、なんて風に思うようになっていた。のんきなおれはすっかり忘れていた。ゲームと現実は違う

    足尾銅山には早すぎる(OHT.5) - 未来の蛮族