ブックマーク / tomomachi.hatenadiary.org (2)

  • 唐沢俊一またコピペ。今度は大学教授のブログから - 映画評論家町山智浩アメリカ日記

    今、発売中の週刊朝日に、投資銀行の破綻とハリウッド映画の崩壊について長いコメントをしました。 さて、またまたコピペ発覚である。 http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20081007 ↑コピペだ!と発見するだけでなく、盗まれた被害者の方に連絡をとって、コピペの事実を確認し、さらに版元にまで連絡する探偵ぶりも楽しめます。 ちょっとしたミステリのような読みごたえですね。 ↓唐沢の文章と原典の対照表。コピーを改竄したのが歴然。 http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20081008 驚くのは、唐沢俊一がこのコピペ原稿を入稿したのは去年の10月で、 漫棚通信さんのブログをコピペしたことを謝罪したわずか2ヵ月後なんだよね。 しかし、これで「ケアレスミスにすぎないことを信じる」という山弘さんの擁護もとことん裏切られましたね。 ていうか、これくら

    唐沢俊一またコピペ。今度は大学教授のブログから - 映画評論家町山智浩アメリカ日記
    ureahoy
    ureahoy 2008/10/08
    それにつけても谷村美月はかわいい
  • コッポラのコーマン門下生時代について - 映画評論家町山智浩アメリカ日記

    「コッポラの胡蝶の夢」のパンフに、コーマン門下生時代のフランシス・コッポラについて書きました。 1960年代初め、ハリウッドのメジャー・スタジオは閉じられていた。 監督やカメラマンなどスタッフの平均年齢はほとんど60歳を越えていたにもかかわらず、大卒の募集は行われず、わずかに縁故採用があるだけだった。 いっぽう、全米各地の大学にはようやく映画学科が設立されていった。大衆の娯楽だと思われていた映画は、フランスで芸術として評価されるようになり、その影響がようやくアメリカに及んだのだ。コッポラもUCLAの映画学科で学んでいたが、何のコネもない彼にとってハリウッドに入るのは不可能に近かった。 まず自主制作で映画を撮ってポートフォリオにしようにも、当時まだ8ミリ映画の機材はまともな映画を作れるレベルには達していなかったし、学生の自主映画を評価してくれる映画祭なども確立されていなかった。そんな状況で、

    コッポラのコーマン門下生時代について - 映画評論家町山智浩アメリカ日記
    ureahoy
    ureahoy 2008/08/29
    「ノーカントリー」の解説はNM氏だが、たぶん怖いシーンになると目をそらす癖のある人なんじゃないか。「水・・・」のとこ。
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