子どもの教育に悪い!ってキレてる人いるけど、そんな大騒ぎするほど? 子どもの頃は道端にしょっちゅうエロ本が落ちてたよなーって思い出した。 今なんてネットでいくらでも無修正画像動画が見れるし(フィルタリングなんてちょっと知恵があればいくらでも突破できる)。 我が家も小学生の息子と娘がいるけど通学路に貼られてたって別に大したことないでしょ~って思うけどなあ。 むしろ大騒ぎすればするほど思うツボな気がするな~
![例の(ほぼ)ヌード選挙ポスターさ](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/b1638cdb5807a4788e4ba3c1109a984166e095fc/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fanond.hatelabo.jp%2Fimages%2Fog-image-1500.gif)
差別ではないと主張する人は「『オジサンという集団に属する全ての人間がキモい』と言っているわけではなく『オジサンという集団の中に存在している一部のキモい人間がキモい』ということを短縮しただけだから、これは別に差別表現ではない」としている。 しかし、それは詭弁ではないだろうか。 例えば「キモい朝鮮人」シリーズという見出しでYouTubeの配信を行なっている人間がいたとしたら、それを見て、あなたはどう思うだろうか。 このような差別的な表現を見出しに使用している人間が「『朝鮮人という集団に属する全ての人間がキモい』と言っているわけではなく『朝鮮人という集団の中に存在している一部のキモい人間がキモい』ということを短縮しただけだから、これは別に差別表現ではない」と主張したとしたら、あなたは「なるほど、これは差別ではない」と納得するだろうか。 「オジサン」の部分を「部落の人間」「女性」「性的マイノリティ
公共の福祉とは公共の福祉とは、原則として権利や利益同士が対立した時にそれを調整するためのものだ。 ここで問題になるのは『権利や利益同士』であることだ。決して権利を超えた❝公共の福祉❞があるわけではない。それでは結局、『権利を超えたものを理由にすればいくらでも人権を制約できる』ということになり、「日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ」権利を有していた大日本帝国憲法と何ら変わらないことになってしまう。 具体例~公共の福祉と表現の自由~表現・出版の自由が公共の福祉によって制約された例としては、『ジャニーズ追っかけマップ裁判』というのがある。 かつて出版社が『ジャニーズ追っかけマップ』という書籍を出しており、そこにはジャニーズのメンバーに会える場所としてスタジオなどの場所の他に自宅の最寄り駅、自宅の住所、電話番号といった個人情報が掲載されていた。 このことについてジャニーズのメンバーが『プライバシーの権利
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