2011年4月5日のブックマーク (5件)

  • 「ボランティアは押し掛けていい」 (ニューズウィーク日本版) - Yahoo!ニュース

    今たくさん来られても困る──東日大震災後にそんな「ボランティア迷惑論」が広がっているが、当にそうなのか 被災者のために何かしたいが、何をしたらいいのか分からない──東日大地震から3週間以上が経つなか、こうした「善意のやり場に困った人」の話をよく耳にする。震災直後からひとり歩きし始めた「迷惑ボランティア」という言葉が、被災地に行って力になりたいという人を躊躇させているのだ。 実際のところ、今ボランティアが押し寄せたら、被災者にとって当に迷惑なのか。関西学院大学災害復興制度研究所長の室崎益輝教授に、誌・小暮聡子が聞いた。 * * * * * ──ボランティアを自粛する動きがあるが、実際のところ人数は足りているのか。 今回の被災地は阪神淡路大震災の何倍もの範囲に及ぶので、何倍ものボランティアが必要だ。にもかかわらず、ボランティアが集まってくるペースは阪神のときと同じか、もっと

    usuyu
    usuyu 2011/04/05
    全く同じ思いです。 #bosai-news // 「ボランティアは押し掛けていい」 (ニューズウィーク日本版) - Yahoo!ニュース
  • 災害情報ボランティア募集ページ

    2011年3月31日災害情報ボランティア募集のお知らせ 独立行政法人 防災科学技術研究所 独立行政法人防災科学技術研究所(以下、防災科研)では、東日大災害の被災地の情報支援を目的として、県社会福祉協議会及び市町村社会福祉協議会、NPOほかと協働して、被災地各地の災害ボランティアセンターの活動を情報面で支援する取組を行っています。具体的には、被災地の災害ボランティアセンター内にて、ボランティアの方々が収集した被害状況や復旧状況、避難所等の被災者の受援ニーズなどの信頼できるフレッシュな情報を、インターネットに接続されたパソコンから入力し、公開用ホームページやインターネットの地図システムを用いてわかりやすく整理し、被災地内外に情報発信を行っています。この活動に用いている情報ツールは、市民協働や公民の協働を支える「eコミュニティプラットフォーム」と呼ばれる防災科研が開発したウェブシステムです。特

    usuyu
    usuyu 2011/04/05
    【急募!拡散希望!】被災地の災害ボランティアセンター等で実際に情報ボランティアをしてくださる方を募集しています!詳しくは
  • 河北新報 東北のニュース/「沿岸部の住宅建築禁止」 78年前宮城県が独自条例

    「沿岸部の住宅建築禁止」 78年前宮城県が独自条例 東日大震災の津波で沿岸部に甚大な被害を受けた宮城県に戦前、1933年の昭和三陸津波の教訓を生かした独自条例(規則)があった。津波による浸水が予想される沿岸部の住宅建築を原則禁止するという罰則付きの厳しい内容だった。  33年の県公報によると、正式名称は「海嘯罹災地(かいしょうりさいち)建築取締規則」。昭和三陸津波の発生から約3カ月後の6月30日に公布、施行されたとみられる。  津波で被災する恐れがある地域内では、知事の認可なく住宅を建築することを禁止。工場や倉庫を建てる場合は「非住家 ココニスンデハ キケンデス」の表示を義務付け、違反者は拘留か科料に処せられるとある。  県私学文書課によると、この取締規則は今は存在しないが、廃止された記録もない。50年の建築基準法施行後、市町村が災害危険区域を指定し、住宅建築を制限できるようになり、役割

    usuyu
    usuyu 2011/04/05
    『この良き先例に学ぶべきだ』 #bosai-news // 河北新報 東北のニュース/「沿岸部の住宅建築禁止」 78年前に宮城県が独自条例
  • 河北新報 東北のニュース/故郷大船渡を命守る街に 防災科学技術研の佐藤さん

    usuyu
    usuyu 2011/04/05
    すでに次の防災は始まっているのだ! #bosai-news // 河北新報 東北のニュース/故郷大船渡を命守る街に 防災科学技術研の佐藤さん
  • 流された乳牛14頭、宮城農高に帰ってきた! (読売新聞) - Yahoo!ニュース

    東日大震災の津波で校舎が破壊された宮城県名取市の県立宮城農業高校で、津波にさらわれた実習用の乳牛34頭のうち14頭が生き延びて戻ってきた。 生存をあきらめていた学校関係者は「よく生きていてくれた」と喜び、牛とともに学校の再生を誓っている。 地震発生の3月11日、同高実習助手の渥美勇人さん(36)は牛舎で生徒約10人と実習していた。津波の警報を受けて生徒といったん校舎に避難したが、「牛を助けなければ」と引き返した。だが、全頭を避難させることはできない。「せめて逃げてくれ」との思いで牛の首輪を外した。牛舎近くの高台のやぐらに避難した渥美さんは、牛たちが濁流にのまれ、苦しそうに顔だけを出してもがく姿を見た。「生きてくれ」と祈ることしかできなかった。 ところが、この日の晩のうちに5、6頭が高台まで帰ってきた。さらに2日後には、数頭がけがを負いながらも戻った。「よく戻ってきてくれた」。渥美さ

    usuyu
    usuyu 2011/04/05
    なんかいい話や~(^^) // 流された乳牛14頭、宮城農高に帰ってきた! (読売新聞) - Yahoo!ニュース