黒岩彰のコーナリング技術は世界一と讃えられた【1983年2月27日】 「世界一を狙う」の言葉どおり、日本人初の快挙達成 専修大学に進学した黒岩彰は、スピードスケート部監督との面談で、こう言い放った。 「スケートをやるなら、僕は世界一を狙います。でなければ、やる必要はないです」 まだ全日本チャンピオンにもなっていない18歳の若者は、すでに世界の頂点を見つめていた。しかし、その言葉どおり、黒岩はメキメキと世界との距離を縮めていく。大学1年で全日本選手権を制し、初めて出場した世界スプリント選手権では6位。翌年はケガの影響で8位となるものの、世界を獲れる自信はさらに深まっていった。 そしてスウェーデンのヘルシンキで開催された自身3度目の世界スプリント選手権。500メートルと1000メートルを2本ずつ滑り、合計タイムのポイントで総合順位を争う同大会で、黒岩は日本人初の総合優勝を飾り、世界一に輝いたの