「十万坪」は現在の江東区千田および千石周辺に当たる。享保8年(1723)から行われた干潟の埋め立てにより10万坪に及ぶ新田が開発されたため、「十万坪」と呼ばれていた。高潮の被害が発生するなど居住には適さない土地で、一時幕府が鋳銭場(いせんば)を置いたりしたが、寛政8年(1796)には)には一橋(ひとつばし)徳川家の所有となった。江戸時代後期には、この付近は春の海辺での潮干狩りや初日の出、月見を楽しめる名所として人気を集めるようになり、海岸に面した洲崎弁天社(すさきべんてんしゃ)(現在の洲崎神社)にも多くの参拝者が訪れていた。天保年間に出版された広重の『東都名所』や『江都名所』などのシリーズでは、そのような潮干狩りや初日の出、洲崎弁天社の賑わいの様子が描かれている。 広重は『名所江戸百景』で再び同地を描くにあたり、それまで描いた題材から大きく趣向を変えて、海側からの鳥瞰(ちょうかん)という大