2023年2月13日のブックマーク (5件)

  • エベレストで流しそうめんにカラオケ!? だんだんと方向性を見失っていった登山家・栗城史多氏の晩年 | 集英社オンライン | ニュースを本気で噛み砕け

    2018年に亡くなった異色の登山家・栗城史多を描き、注目を集めた第18回開高健ノンフィクション賞の受賞作『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』。当初は栗城氏の面白さや革新性に心を動かされ、積極的に取材を行っていた著者の河野啓氏だったが、次第に彼の言動に違和感を覚えるようになっていく。同書から一部を抜粋して紹介する。 #1はこちら #2はこちら 栗城さんの新たな野望 2009年5月18日。栗城さんはダウラギリ(標高8167メートル・世界第7位)に登頂を果たす。その2日後、1年あまりの取材をまとめた番組『マグロになりたい登山家~単独無酸素エベレストを目指す!~』が放送された。 北海道限定だがゴールデンタイムでの放送だった。彼の事務所から提供を受けた登山のシーンは極力短くし、むしろ彼の日常にフォーカスしている。この番組は日民間放送連盟賞などを受けた。 私は「観察モード」ながらも、栗城さんと

    エベレストで流しそうめんにカラオケ!? だんだんと方向性を見失っていった登山家・栗城史多氏の晩年 | 集英社オンライン | ニュースを本気で噛み砕け
    utsuro
    utsuro 2023/02/13
  • 「運動神経は鈍い方で、体力も並」。登山関係者の大半が批判的に見ていた栗城史多氏の「すごさ」とは? | 集英社オンライン | ニュースを本気で噛み砕け

    2018年に亡くなった異色の登山家・栗城史多を描き、注目を集めた第18回開高健ノンフィクション賞の受賞作『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』。栗城氏が果敢に挑み続けた「8000メートル峰」とは、いかなる世界だったのか。また、栗城氏の能力は登山界ではどのように評価されていたのか。同書より一部抜粋、再構成してお届けする。 #1はこちら #3はこちら 8000メートル峰とはどのような世界なのか? 私が栗城さんの取材を始めた理由は、登山の過程を詳細にカメラで撮る「新しさ」と、「マグロが理想」など放つ言葉の意外性に惹かれたからだが、もう一つ、「この人なら、『登山家のすごさ』を私のような素人にもわかりやすく伝えてくれるのではないか?」と期待したからでもあった。 登山家のすごさは一般の人にはわかりづらい。体力、スタミナ、精神力、状況判断……様々な要素を兼ね備えて初めて8000メートル峰の頂に立てる

    「運動神経は鈍い方で、体力も並」。登山関係者の大半が批判的に見ていた栗城史多氏の「すごさ」とは? | 集英社オンライン | ニュースを本気で噛み砕け
    utsuro
    utsuro 2023/02/13
  • 失恋をきっかけに登山に開眼!? 異色の登山家・栗城史多氏が「単独無酸素」にこだわった理由 | 集英社オンライン | ニュースを本気で噛み砕け

    「夢の共有」というキャッチコピーを掲げて登山の様子を動画配信するなど、従来の登山家のイメージには収まらない型破りな活動を続け、話題を呼んだ栗城史多氏。2018年に亡くなった彼の活動には、一方で激しい毀誉褒貶もついて回った。そんな彼の素顔を描き、このたび文庫版が発売された『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』から一部を抜粋、再編集して紹介する。 #2はこちら #3はこちら マグロになりたい登山家? 2018年5月21日、栗城史多さんがエベレストで滑落死した。35歳という若さだった。 かつて私は、北海道放送のディレクターとして栗城さんを約2年にわたって取材した。2008年から2009年にかけてである。 彼を取材しようと思ったきっかけは、2008年5月初旬、出張帰りの列車の中で目に留めたカタログ誌だった。座席前のポケットにJR北海道の車内誌と一緒に収まっていた。『単独無酸素で七大陸最高峰を目

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    utsuro 2023/02/13
  • 「ああいう凍傷は見たことがない」…エベレストで指9本を失った栗城史多さんに登山家たちが冷たかった理由 高所登山のセオリーを本当に知らなかったのか

    世界最高峰のエベレスト登頂に幾度となく挑戦した栗城史多さんは、4回目の挑戦で両手の指を凍傷により9失った。たいへんな大ケガだが、それでも多くの登山家は栗城さんの挑戦に冷ややかだった。なぜだったのか。河野啓さんの著書『デス・ゾーン』(集英社文庫)よりお届けしよう――。 難しいルートにあえて挑む不可解さ ノーマルルートを逸れた末、カラスのせいで敗退したと発表した栗城さんは、翌年、このとき以上に「ありえない」行動に出る。 2012年秋。4回目のエベレスト挑戦。 栗城さんが選んだのは、ノーマルルートより格段に難度が高い西稜ルートだった。稜線りょうせんの上は常に強風に晒される。しかも西稜は長く険しい。 1963年にアメリカ隊が初めて足を踏み入れ、1979年にはユーゴスラビア隊が基部から忠実に稜線をたどって頂上を踏んだ。1981年、明治大学エベレスト登山隊が、大学の「創立100周年記念」として挑戦し

    「ああいう凍傷は見たことがない」…エベレストで指9本を失った栗城史多さんに登山家たちが冷たかった理由 高所登山のセオリーを本当に知らなかったのか
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    utsuro 2023/02/13
  • 登るためならマルチともつながる…手指を9本失い、エベレストで滑落死を遂げた登山家が費用を工面した方法 「わらしべ登山家」を自称した栗城史多という生き方

    登山家の栗城史多さんは、世界最高峰のエベレスト登頂に幾度となく挑戦し、凍傷で手指を9失い、最後は2018年に滑落死した。栗城さんは入山料だけで数百万円という費用をどのように工面していたのか。人に取材した河野啓さんの著書『デス・ゾーン』(集英社文庫)よりお届けしよう――。 政財界の要人の名刺は「レアカード」 ヒマラヤは春(4月、5月)か秋(9月、10月)に登るのが一般的である。夏は気温こそ緩むが雨季なので、雪の日や雪崩が多い。冬は気温が下がり、ジェット・ストリームが吹き荒れる。いずれも登山には不向きだ。 必然的に、栗城さんが日にいるのは夏と冬になる。 栗城さんの事務所は、札幌の中心部から車で15分ほどの好立地にあった。学校の校舎のような横長の形をした古い鉄筋4階建ての2階に入っていた。札幌市がクリエイターやベンチャー企業を支援するために出資した財団法人が管理するビルだった。2DKで家賃

    登るためならマルチともつながる…手指を9本失い、エベレストで滑落死を遂げた登山家が費用を工面した方法 「わらしべ登山家」を自称した栗城史多という生き方
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    utsuro 2023/02/13