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2008年4月22日のブックマーク (5件)

  • エンジニアが知っておくべき特許制度の12のこと - It's Not About the IP

    知財立国うんぬんと言われながら著作権ばかり話題にあがりますが*1、直接ITエンジニアに関係するのはどっちかっつーとむしろ特許制度だったりします。というわけで、ITエンジニアには意外と知られていなかったり誤解されていたり、これは知っておいてもよさそうだなーと思うことをまとめてみました。 1. 特許は、産業の発達のための制度 であって、発明者を保護するための制度ではありません。これは意外と誤解されているような気がするけど、いくら強調してもし過ぎることはない特許制度の根原理です。技術は累積的に進化しますから、新しい発明をした人がそれを隠すと技術の発展が滞るので、新しい発明をした人にその技術を国に開示してもらい、国がその技術を世の中に広く知らせることで累積的な技術の進化を促して産業の発達に寄与しようというわけです*2。新しくてイケてる技術を開発して開示してくれた場合には、その開示の代償として発明

    エンジニアが知っておくべき特許制度の12のこと - It's Not About the IP
  • コイントスが割り勘の代わりにならない根源的な理由 : 404 Blog Not Found

    2008年04月22日05:45 カテゴリMathMoney コイントスが割り勘の代わりにならない根源的な理由 数学的にも経済学的にも公平なこの分配法を我々が不公平だと思う理由はなんだろうか? ビールを公平に分ける方法 - hiroyukikojimaの日記 経済学だと、次のような分け方が平然と「公平」だとして与えられる。つまり、完全に均整のとれたコインを投げて、表が出たらAさんが、裏が出たらBさんがピッチャーのビールを全部飲んでしまうのだ。 それが、わかった。 なんだ、簡単なことじゃないか! 我々が確率論的公平を公平とみなさない理由、それは未来が不確定で、我々の寿命が有限だからではないのか。 たとえば、この問題を「ピッチャー一杯をどう分けるか」ではなく、「ピッチャー二杯が前後して来る場合、どちらが先に飲むか」と変形すれば、コイントス方式は単に確率論的のみならず、実際の分配量においても公平

    コイントスが割り勘の代わりにならない根源的な理由 : 404 Blog Not Found
    uunfo
    uunfo 2008/04/22
    リスク回避的ってことではないの?ビール独り占めのメリットよりもビールにありつけないリスクを重要視するんじゃないの?/命に限らず胃袋もビールも有限というのがあるんじゃない?
  • ビールを公平に分ける方法 - hiroyukikojima’s blog

    これは、一度、Wired visionのブログにhttp://wiredvision.jp/blog/kojima/200803/200803061103.htmlとして書いたことだけど、こっちの個人ブログにも、多少味付けを変えて書いておこうと思う。 公平とか平等とかいうことばは、ひとをうっとりさせるに十分な甘い響きを持っているけど、よく考えると当はとても難しくて手におえない話だ。それをわかってもらうために、「ピッチャーのビールを公平に分けるにはどうすればいいか」という単純な問題にして考えることにする。そういう喩えにするけど、背後には「社会における公平」についての問題意識が込められていることは、念頭に置いて読んで欲しい。 今、ピッチャーになみなみ入ったビールがあるとする。それと形のちがったコップがいくつかあるとしよう。このとき、ビールを公平にコップに取り分けて飲むにはどうすればいいのだろ

    ビールを公平に分ける方法 - hiroyukikojima’s blog
    uunfo
    uunfo 2008/04/22
    えー!!>「このような分配に関する研究は、あまり経済学で見たことがない」/ビールを戻す必要はないと思う。
  • 「人間の少女には心がある」のと同じ意味で「二次元のアニメ美少女にも心がある」かもしれないよ - 分裂勘違い君劇場

    「あなたの気持ちは、痛いほどよく分かります。」 と言いながら、 とんでもなく見当違いの同情 をしてくれる方がいらっしゃいます。 その方は、オイラがどのように傷つき、怒り、憎み、 恐れ、深い悲しみにうちふるえているかを、せつせつと語るんですが、 一から十までピントがズレまくっていたりします。 オレは確かに苦しんでいるが、 そんな激しくどうでもいいことで 苦しんでるわけじゃないんだよ。 その人が「痛いほどよく分かる」というオレの喜怒哀楽は、 フィクションであって、実在するオレの喜怒哀楽とは全くの別物なんですよ。 唯一ノンフィクションだと言い切れるのは自分の感情やクオリアだけです。 自分は「苦しんでいる自分」を直接感じることができる。 自分は、自分の感覚の中で起こっていることと同じことが 他人の中でも起こっているに違いないと「想像」しているだけです。 自分は、他人の中で起こっている感情やクオリア

    「人間の少女には心がある」のと同じ意味で「二次元のアニメ美少女にも心がある」かもしれないよ - 分裂勘違い君劇場
    uunfo
    uunfo 2008/04/22
    ちょっと救われた。
  • ラッセンとは何の恥部だったのか - Ohnoblog 2

    ※追記あります。 拙書を読んで下さった人から面白いメールをもらった。「ところでラッセンって何だったの?」という話(の内容とは直接関係ない)。 ‥‥ラッセンか。そう言えばいたなそんな人が。 ハワイの海やイルカの絵を描いているあのラッセンです。御存知ないですか。別に知らなくてもいいのですが。日向けのホームページに絵の画像がたくさんある。「あー、あのサーフィンショップとかに飾ってありそうなイラストか」と思い当たる人はいるだろう。もっともイラストじゃなくてアート、絵画として売られている。 こちらを見ると、絵以外のところでかなり評判が悪い。エコロジストのサーファー画家ということで売っているラッセンだが、ほとんど不良外人の扱いだ。 しかし、なぜラッセンの絵がそんなに人気があるのか。 日人ってそんなに海とイルカが好きだったのですか。 以下、その方の承諾を得てメールから抜粋(ちょっと長いです)。途中

    ラッセンとは何の恥部だったのか - Ohnoblog 2
    uunfo
    uunfo 2008/04/22
    ラッセンもヒロ・ヤマガタも天野喜孝も好きだったけどなあ。買わないけど。消費物としての「アート」といった感じ。/高校生のころはなにも知らずに展示会場に入って豪快にスルーされていたものでした。