「機動戦士ガンダム」は1979~80年に放送されたテレビアニメだ。地球連邦政府に対し、ジオン公国が独立戦争を挑む筋書きの中で、主人公の少年アムロ・レイの成長など人間ドラマが描かれている。弘前大中退で、アニメーションディレクターを務めた安彦良和さん(67)に作品に込めた戦争への思いを聞いた。8日は太平洋戦争開戦の日。 ――70年代、戦争をテーマにしたアニメは少なかったのでしょうか。 「当時、戦争を題材にしたアニメは『宇宙戦艦ヤマト』とガンダムしかなかった。その両方にメインスタッフとして関わっているのは僕だけだと思う」 「戦争が題材ということで話題になった。ヤマトでは『右翼的なテーマはいかがなものか』という評論もあったし、ガンダムでは『非常に好戦的だ』と言われたり『反戦的な要素もあるぞ』と指摘されたりした」 ――漫画家として2001年から『ガンダム THE(ジ) ORIGIN(オリジン)』を連
安全保障関連法の成立から1カ月。国会に法案を出した政権側も質問に立った野党議員も、ほとんどが戦後生まれだ。「戦争を知らない」世代の論議にもどかしさを感じた元日本兵は、「戦場の現実」を語り続ける思いを新たにしている。 中国戦線「通ったあとは焼け野原」 「戦争の危険性が多分にある法律だ。もう少し体力があったら、国会前に行って戦場の実態を話したかった」。兵庫県芦屋市の藤田博さん(89)は語る。 徴兵され、19歳だった1944年11月、中国の山西省に送られた。陸軍第一軍独立歩兵第14旅団第243大隊に属する中隊で、上官の命令で大砲の照準をあわせる任務を担った。味方の陣地が襲撃されると、周辺の集落に「腹いせのよう」に砲撃を浴びせた。 新たな支配地域を広げる作戦では、ひと月の予定でも1週間分しか食糧を準備せずに出発。行軍中、「現地調達」の名で農家に押し入っては食糧を奪い、家畜を肉にした。「抵抗する住民
「死ねと命じられて爆弾もろとも敵艦に突っ込んでいった特攻隊員たち。人生には心からの笑いがあり、友情と恋があふれ咲いていることすら知らず、五体爆裂し肉片となって恨み死にした」 加藤敦美(あつよし)さん(86)=京都市西京区=は今夏、戦争で失った仲間を思い、ペンをとった。平和憲法のもとで戦争をしてこなかった日本。その姿が揺れる現状に耐えられなくなっていた。 16歳だった加藤さんは1944年12月、特攻隊員をめざして海軍飛行予科練習生になった。山口県の防府にあった通信学校で何度も「ピーッ」という信号音を聴いた。その音は数秒間続き、途切れる。「特攻機が敵艦に突っ込んだ」。班長が言った。先輩たちの「最後の叫び」だった。特別な感情は湧かない。上官から「死ね」と言われたら死ぬしかないと思っていた。 45年8月15日。特攻隊員と… この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 こ
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