冠服制度[編集] 『論語』に「顔淵、邦を為めんことを問う。子曰く、夏の時を行ない、殷の輅に乗り、周の冕を服し、~(顔淵は国の治め方について聞いた。孔子は言った、夏王朝の暦を使い、殷の輅と呼ばれる車に乗り、周の冕という衣装を着て、~)」という記述がある[8]。孔子が、周の冕(祭礼用の服)を模範としているのだ。また、同じ論語の泰伯篇には、普段の衣服を質素にする代わりに祭礼用の衣服(黻冕)を豪華にした禹王を褒めている[9][出典無効]。易経に、「黄帝堯舜衣裳を垂れて天下治まるは、蓋し諸を乾坤に取る(黄帝と堯と舜が天下を治めた時は、その衣装のデザインを天地の色に倣った)」[10] とある。乾とは天、坤とは地の事であるから、乾坤とは天地を意味している。では天地とは何色であるのだろうか。『周易』坤卦に「天は玄にして地は黄」とある。つまり、天の色は赤黒(玄)く、地の色は黄色いとされていたのだ。ゆえに、祭