ブルデュー研究 先日ブルデューのハビトゥス概念について書いたので、今度は資本概念について書いてみます。ブルデューの資本概念ですが、日本で論じられてきたものは(おそらく)ほとんどか全てが間違っているというのが僕の見解です。(念のために言っておくと、ブルデューの弟子筋の研究者とブルデューの基礎概念に関する理解を共有しているのは、日本語を使って研究している者の中では僕だけかもしれません。日本の長老たちは、どうしてもこの資本概念が理解できないようです。) なぜ間違っているかというと、大事な前提の一つが常に抜けているからです。それとは、ブルデューの資本概念と界概念とは、1971年以降セットで考えられるようになったということです。ブルデューはのちに、「資本は界なしには存在することも機能することもできない」とまで言うようになります(『リフレクシヴ・ソシオロジーへの招待』)。逆に、1970年以前のブルデュ