タグ

関連タグで絞り込む (2)

タグの絞り込みを解除

言語に関するvertvertvertのブックマーク (6)

  • Yes, yes(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again

    Others 作者: J. Hillis Miller出版社/メーカー: Princeton Univ Pr発売日: 2001/11/01メディア: ハードカバー クリック: 5回この商品を含むブログ (17件) を見る J. Hillis Miller Others*1の第2章”George Eliot: The Roar on the Other Side of Silence”から。 この章で、Millerはジョージ・エリオットの後期の小説Middlemarchを論じているのだが、生憎彼女の小説は『サイラス・マーナー』しか読んだことがない*2。 サイラス・マーナー (岩波文庫) 作者: ジョージエリオット,土井治出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1988/08/16メディア: 文庫購入: 3人 クリック: 43回この商品を含むブログ (19件) を見る Werner Hamach

    Yes, yes(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again
  • 名前は自分のためにあらず(メモ) - Living, Loving, Thinking

    承前*1 共同存在の現象学 (岩波文庫) 作者: レーヴィット,熊野純彦出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2008/10/16メディア: 文庫購入: 2人 クリック: 26回この商品を含むブログ (33件) を見る カール・レーヴィット『共同存在の現象学』、II「共同相互存在の構造分析」第一部「共同世界と「世界」ならびに「周囲世界」との関係」第3節「「生」の四つの根的意義とその連関」の続き。 生の「四つの根的意義」のうち「共同相互存在」としての生について。 「伝記的に意味をもつ固有名が人間に固有のなまえであるのは、たんに見かけにすぎないのだ」(p.69)―― 子どもが以後その名を身に帯びることになるのは、けっしてじぶん自身のためではなく、他者たちのためである。つまりその名は、他者たちによって呼ばれうるためのもの、他者たちのまえでじぶんを照明しうるためのもの、他者たちのために署名しう

    名前は自分のためにあらず(メモ) - Living, Loving, Thinking
  • リベラル21 日本語に主語はあるのか

    語に主語があるのか?それともないのか?これについて、学校文法と三上文法とは主張が異なる。ここでいう学校文法とは、私たちが学校で学ぶ文科省お墨付きの国文法をさし、三上文法は、『象は鼻が長い』や『日語の論理、ハとガ』の著作で有名な三上章(みかみ あきら)の提唱する日語文法をさす。学校文法は当然のことながら日で広く普及しているのに対して、三上文法は海外では有名だが国内ではあまり知られていない。恐ろしいことに、主語の有無について両者の見解は水と油のように真っ向から対立する。 「花は美しい。」や「花が咲く。」は文である。 学校文法では、「花は」や「花が」を主語だと教える。(日語に主語はある) 三上文法では、「花は」を題、「花が」を主格とする。(日語に主語はない) 私自身、中学生の頃、体言(名詞)に助詞の「は、が、も」がつくと主語になると教わった記憶がある。私も長い間、日語に主語はある

    vertvertvert
    vertvertvert 2009/12/22
    主語の問題。
  • http://tubo.9640.jp/tutiya_collection/

  • 心と原因 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    某所でこみやさんと議論になったのでそれについて書きます。 多くの人にとっては、「こみやさん」との議論も読めませんし、「こみやさん」も知りませんし、意味がわかりにくいでしょうが、主としてこみやさんへの返答を意図しています。 テーマは、「心的なもの(あるいは命題的態度)は原因になりえるか」です。 わたしは「心だって物事の原因になる派」。こみやさんは「心は物事の原因にならない派」です。 正確に言えば、こみやさんの結論は、「行為の説明は因果関係による説明になっていなければ説明として完結していないというデイヴィドソンの主張はおかしい」という部分にあるようです。 これについては、わたしはまだ主張の要点がよくわかっておりませんので判断は保留します。 ただ、その結論を述べる過程で、こみやさんは、「心は原因にならない」という立場をとっておられるようです。また「彼は怒ったので急に立ち上がった」のような日常的な

  • 新生児の泣き声にも“訛り”(ナショナルジオグラフィック 公式日本語サイト) - Yahoo!ニュース

    生まれたばかりの男の子の赤ん坊(資料写真)。新生児の泣き声には、訛りに似たイントネーションがあり、自分の母国語と同じような“メロディ”で泣くという研究が2009年11月に発表された。 (Photograph by Jason Edwards NGS) 新生児は子宮の中で言語を覚え始め、生まれたときには既にその言語特有のアクセント、いわば“訛り”のようなものを身に付けているという研究が発表された。 胎児は耳で聞くことで言語に慣れていくという見解は特に目新しいものではない。誕生直後の新生児が複数の異なる言語を耳にすると、ほとんどの場合、母親の胎内で聞こえていた言語に最も近い言語を好むような態度を示すことが複数の研究で既にわかっている。 ただし、言語を認識する能力と発話する能力とはまったく別のものである。 ドイツ、ビュルツブルク大学発話前発育・発育障害研究センターのカトリーン・ヴェルムケ氏

  • 1