2016年3月16日のブックマーク (1件)

  • 沖縄戦の孤児 ひとり戦場をさまよった神谷洋子さん(当時7歳)の証言

    神谷洋子さん(79歳)は米軍の艦砲射撃で母と幼い弟を亡くし、自らも重傷を負いながら、たったひとりで沖縄島南部を歩きつづけた。地獄の戦場を生き抜いた神谷さんだが、戦後の人生もまた苦難の連続だった。 沖縄戦で被害を受けた民間人や遺族らが国を相手に謝罪と損害賠償を求めている。この沖縄戦被害国家賠償訴訟の判決が3月16日に言い渡された。那覇地裁は「一般民間戦争被害者に対して補償がされていないことは不合理な差別とまでは認められない」とし、原告の訴えを退け、国家の責任を否定した。 神谷さんは国と闘った79人の原告のひとりである。 * 私が7歳のときよね、B29が飛んでいるのを見たんです。白い飛行機を。10•10空襲* まで真和志村(現那覇市)の国場にいましたから。那覇の街が燃えているのを母から聞かされて、沖縄で戦争が始まるというので近くの壕に入りました。その後、戦闘が激しくなっていきましたので、母が

    沖縄戦の孤児 ひとり戦場をさまよった神谷洋子さん(当時7歳)の証言
    vicejapan
    vicejapan 2016/03/16
    沖縄戦の孤児 ひとり戦場をさまよった神谷洋子さん(当時7歳)の証言ー沖縄戦被害国家賠償訴訟の判決が昨日言い渡された。那覇地裁は原告の訴えを退けた。彼女はその原告のひとりである。