内田篤人が32歳の若さで引退を決断した。2006年に清水東高から鹿島に加入後、14年半年に渡ったプロ生活。内田が振り返って「つらかった」ということはあっても、さなかで弱音を吐くことはなかった。ブラジルW杯前に2014年に右ひざを負傷し、15年に手術を受けたあとはけがとの戦い。約1年9か月試合から遠ざかる時期もあり、リハビリと復帰を繰り返してきた。 顔を合わせれば、必ず状態の話になった。「また、やっちゃった」と太ももの肉離れを伝えられ、うなずいていると「この繰り返しだから。付き合っていくしかないよね」と続けるまでが、あいさつの1セット。それほどけがが多く、結局「順調」や「状態が良い」という言葉は1度も聞くことがなかったが、弱音も聞いたことがなかった。 支えていたのは、日本代表のバヒド・ハリルホジッチ元監督から送られた言葉だったように思う。18年ロシアW杯イヤーの前年、同監督からけがで苦しむ内