G大阪西野朗監督(54)が、リーグ優勝の可能性が消滅した28日鹿島戦の選手起用を反省した。右足首痛のDF山口と中沢、右足首をねんざしていたDF加地を強行出場させ、1-5と惨敗したことを「けが人を無理に使ったのはどうかなと思っている」とこぼした。リーグ3位が確定。来季ACL出場権は獲得したが、大敗のショックは大きい。12月12日の天皇杯準々決勝で再び鹿島と対戦する。「選手には絶対に勝ちたいと強く思ってほしい」とリベンジに燃えていた。
栃木サッカークラブでは、以下の選手について、契約満了に伴い来季の契約を結ばないことになりましたのでお知らせいたします。尚、当該選手の移籍先等、去就につきましては、確定次第、改めてお知らせいたします。 ●井上 雄幾(いのうえ ゆうき) DF 背番号:4 1977年10月31日生(32歳) 身長172cm/体重68kg 神奈川県出身 横浜フリューゲルスユース→横浜フリューゲルス→ジェフユナイテッド市原→佐川急便東京SC →モンテディオ山形→ヴァンフォーレ甲府→栃木SC→TDK SC(期限付き移籍中) <通算出場記録>J2 137試合5得点 (うち今季出場記録 J2 15試合0得点) ●栗原 圭介 (くりはら けいすけ) 選手 MF 背番号:8 1973年5月20日生(36歳) 身長174cm/体重67kg 東京都出身 桐蔭学園高→駒澤大→ヴェルディ川崎→ベルマーレ平塚→ヴェルディ川崎→サンフレ
九州リーグで戦っているヴァンクール熊本をひっそりと応援しつつ地域リーグのサッカーを熱く語る物好きブログ。 2009年11月30日 ロアッソ熊本 山口武士の引退 昨日は今年2回目のロアッソ熊本の試合を観に行った。同じ熊本をホームとするヴァンクール熊本を応援しているのでロアッソに対して特に感情はないのだが、せっかくタダ券を貰ったんで行くことに。 ちなみにこのタダ券のばら撒き方が今回凄かった。話によると街中のアーケードで道行く人に配っていたらしい。自分は協会の人からもらったものだったが、この形振り構わない戦法の割には対して客は入ってなかったような・・・。 実はこの試合、ある選手の引退試合でもあった。その選手の名は山口武士。 熊本の古いサッカーファンであれば誰でもその名前を知ってる、そんな選手だった。 私が始めて武士のことを知ったのはもう13年くらい前だろうか。 平岡監督を招聘し全国レベルの強さに
【ひかりTV連動企画】J2 10月度MIP受賞インタビュー 船山祐二選手(C大阪):「自分自身も移籍してきてよかったなと思えた1カ月間だったと思います」(09.11.30) 9月の快進撃をそのままに、10月も3勝2分と好成績を残し、第3クールを仙台とともに突っ走って、11月8日、J1昇格内定を勝ち取ったC大阪。ただし、10月はエースの香川真司が負傷で先発から出られない状況が続き、乾貴士も累積警告により2試合の出場停止、マルチネスも本格復帰できず、主力が揃わない状態が続いていた。それでも、選手層の厚さ、総合力、そして第3クールに見せた安定した守備力によって乗り切れたことで、一気にJ1昇格に王手をかけることができた1カ月でもあった。そのなかで、とりわけ印象に残る活躍を見せたのが、7月に鹿島から期限付き移籍で加入し、9月から出場機会を得て、チームの勝利に貢献し続けたMF船山祐二。マルチネスの不在
21世紀協、海保理事長が退任の意向 2009年11月30日 08:58 海保宣生理事長"> 海保宣生理事長 サッカーJ1のモンテディオ山形を運営する県スポーツ振興21世紀協会の海保宣生理事長(67)が、今季限りで退任する意向であることが29日、分かった。昨シーズン途中に心筋梗塞(こうそく)を発症するなど健康上の問題が理由とみられ、山形新聞社の取材に対し、海保理事長は同日、「今の段階で話すことはない」としている。 県スポーツ振興21世紀協会の理事長職は1期2年。任期は2010年3月まで残っているものの、J1残留を果たした今季終了を節目ととらえ、後任に運営を託す決断をしたもようだ。 東京都出身の海保理事長は2006年5月から現職。金森義弘前理事長の後任として、斎藤弘知事(当時)が日本サッカー協会の川淵三郎キャプテン(同)に人選を依頼し就任した。東京五輪バスケットボールの日本代表で、住友金属
エスパルスのサポーターで埋まったスタンドにJALの文字が入ったフラッグが広がった=29日午後0時36分、横浜市の日産スタジアム 日本航空がスポンサーをつとめるJリーグ・清水エスパルスのサポーターらが29日、経営危機に直面する同社を応援しようと、試合前のスタンドからエールを送った。胸にJALの文字が入った古いデザインのユニホームを着たサポーターらは、「いつまでも一緒に」との思いを込め、JALから贈られたビッグフラッグ(特大応援旗)をスタンドいっぱいに広げた。 試合開始30分前。スタンドに広げられたフラッグの下から「JAL負けるな」との声が次々に上がった。 日本航空は1991年のJリーグ発足以来、エスパルスのスポンサーを続けてきた。97年、運営会社が経営危機に陥り、チーム存続が危ぶまれた時も、選手たちのユニホームには、大きく「JAL」の文字が躍っていた。 サポーターの有志らが、ネット上
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