< 東京中野 哲学堂公園の哲学の道は妖怪も思索を深めながら歩くのかもです > よく調べもしないで、ずっと勘違いしたまんま暮らしてるってことがちょくちょくありまして、先日、文庫本の整理をしていて「善の研究」が出て来て、ふむふむって久しぶりに開いて見て、あれ? ってショックを受けたんでした。 著者は言わずと知れた「西田幾多郎(1870~1945)」ですよね。 ず~っとですね「いくたろう」だと思ってました。「きたろう」なんですね。 西田哲学とか、口に出すときは名字までで、名前を口にしたことが無かったのかもしれませんが、数十年の勘違い期間ってこと。 そもそも最初に「いくたろう」って読んだのはなんでだったのか、さっぱり記憶にありませんが、それ以来ずっと「いくたろう」って思っていて疑いもしませんでした。 「善とは一言にていえば人格の実現である」っていう世界レベルの哲学者、西田幾多郎は琵琶湖疏水沿いの道