ブックマーク / morimariko.hatenablog.jp (5)

  • 除夜の鐘を鳴らすことについて。 - 世の中の観察日記

    年最後の記事を書かせていただきます。 当ブログにお越しくださいました皆様、 そして、当ブログを気にかけてくださいました皆様に 心から感謝いたしております。 どうもありがとうございました。 今年も12月に入り、大晦日が近づいて参りました。 ご存知の方もいらっしゃることと存じますが、 大晦日の夜に「百八つ(108)の除夜の鐘」が鳴りますが、 これは、人に「百八つの煩悩(ぼんのう)」があるからだそうです。 「除夜の鐘」について、『日仏教がわかる』(P153)には、 「人間の心にある百八の煩悩の迷いを醒まし、一切の衆生に温かい仏心を呼び起こすものとされています。過ぎた一年の煩悩を消し、来たる一年の煩悩の迷いを脱することを願って鐘が鳴らされているのであります」 と書いてありました。 また、「煩悩」について、『インド仏教史 上巻』(P254)には、 (「煩悩」の解釈として私が好んでいる箇所を太字

    除夜の鐘を鳴らすことについて。 - 世の中の観察日記
  • 「自由」について。 - 世の中の観察日記

    日は、「自由」について、述べてみたいと思います。 『明鏡国語辞典』によれば、「自由」とは、 「他から強制や命令をうけることなく、自分の思いどおりにできること。」 と書いてありました。 強制や命令、また、義務や束縛など、その内容にもよりますが、 (その内容についてはさておき、) 私は、私自身については、 日常生活の中に“~しなければならない”というものがないと、 自分を律することができないと思っており、 「基的には自由で、少々“~しなければならない”がある」 という状態が「ちょうどいい」と思っています。 また、(あくまでも、私自身の考えではありますが、) 何の束縛もない自由には、 時に、「寂しさ」を感じることがあります。 そして、この度、「自由」について述べようと思った時、 まず、思い浮かんだのは、「行雲流水(こううんりゅうすい)」 という禅語でした。 「行雲流水」について、 『糧になる

    「自由」について。 - 世の中の観察日記
  • 「平和」について。 - 世の中の観察日記

    日の記事は、約4,200字になっております。 皆様のご都合のよろしい時にお読みいただけたら幸いです。 今月は、15日が平成最後の終戦記念日であったこともあり、 全国戦没者追悼式における天皇陛下の 「戦後の長きにわたる平和な歳月(に思いを致し……)」 というお言葉を耳にしたこともあり、 「平和」について改めて考えてみたいと思いました。 ただ、私がこれから述べさせていただこうと思う「平和」は、 「戦争」だけを念頭においてのことではなく、 自分の身近で起きるような人間関係の問題も含め、 私たちが「平和」に過ごすためにこのように考えてみてはどうか、 と思いながら述べるものです。 誰もが「平和」を求めていると思いたいのですが、 もしそうであったとしても、 「平和」の意味・定義、有り様について、 “根的な誤り”や、“認識の違い”があるまま、 それぞれが「平和」を求めても、 「人類の平和が調和する

    「平和」について。 - 世の中の観察日記
  • 私にとっての希望の数字「1999」。 - 世の中の観察日記

    被災された各地の皆様にお見舞いを申し上げます。 避難されている方々、作業をされている方々の 安全と心身の疲労の回復を心より願っております。 以前にも申し上げたことがございましたが、私は野球が好きです。 私は先日(9月21日)、ZOZOマリンスタジアムに行き、 千葉ロッテマリーンズを応援してきました。 この日は、 福浦選手が「2000安打までもう少し!」という日でもあり、 試合開始前からドキドキ♡ワクワクしておりました。 そして、ご存知の方もいらっしゃることと存じますが、 福浦選手は、9月21日に「1999目」のヒットを放ち、 翌日の9月22日に「2000安打を達成!」しました。 〈福浦選手、おめでとうございます!!〉 福浦選手は、入団した時は投手でしたが、早々に野手に転向し、 練習について行けなかった、よく倒れ込んでいたというお話しもあり、 落ち込んだり、苦しんだ日々もあったことと思

    私にとっての希望の数字「1999」。 - 世の中の観察日記
  • 「後悔」と「償い」について。 - 世の中の観察日記

    日大アメフト部の選手が危険な反則プレーをし、 関学大の選手にケガを負わせてしまった問題は、 多くの方がご存知だと思います。 また、日大の選手の記者会見、監督とコーチの記者会見、 そして日、日大の学長の会見もあり、 ご覧になった方も多いのではないかと思います。 私もそれぞれの記者会見の様子をニュース番組の中で拝見しました。 私は、生涯において、 「人は、まちがえない、ということができない」 と思っています。 そして、そのまちがいが自分自身だけで済む問題ならば、 反省したり、学びの機会を得たと思って、 「後悔」をせず、または、「後悔」を終えて、 自己の「成長」につなげればいい、と思います。 しかし、そのまちがいが人に危害を与えてしまったものであるとき、 それは自分自身だけで済む問題ではなく、 「取り返しのつかないこと」になることもある、と思います。 人に「取り返しのつかないこと」をしてしまっ

    「後悔」と「償い」について。 - 世の中の観察日記
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