ブックマーク / tonntonn.hatenablog.com (5)

  • 泣いてもいいんだよ - お気楽日和

    祖母の葬儀が終わり、昨日は喪中はがきの手配と母の愚痴をきいているうちにぼうっと過ぎていった。 それにしても日の葬儀に関するあのしきたりはよくできているなぁ。 あれは、亡き人のためにあるというより、送り出す側のためにあるものなんだ。しみじみ思った。 通夜で棺のなかの姿を確かめると思わず泣けてきた。つい数日前、私にニーッと笑ったあの人が無機質なお人形のように笑っている。その事実が受けとめきれず混乱する。 焼香やお坊さんのお経、精進落とし。夢かもしれない、でもこれは夢じゃない。夜遅く家に帰り眠り、翌日、また同じ顔ぶれでお経を聞く。またお焼香をし、棺に花を入れ、改めて少し泣き火葬場に行く。お骨になったのを確かめるころになりやっと、いよいよ故人の幕が降りたんだと、現実を受け入れることができる。うまくできている。 父のときは、息子はまだ2歳で夫は仕事が一番忙しいときだった。 息子には不安を与えないよ

    泣いてもいいんだよ - お気楽日和
  • 一粒で二度美味しい - お気楽日和

    息子が昨夜帰ってきた。 単身赴任の夫のところへ2泊、遊びに行っていたのだ。 「3っ日間の間、一度も揉めなかった」 「そりゃあ、直前にあれだけ揉めて行けばね」 一人で生活している、息子命の夫にとってこの訪問は相当楽しみだったようだ。事前に切符を買ってやり、ひと月ほど前から「車の運転練習しような」「どこか行きたいところあるか」と盛り上がっては息子にめんどくさがられていた。 それが前日の夜になって、明日からの旅行の最終確認をしている段になり突然、喧嘩が勃発、「俺行かね」と息子は拗ね、間を取り持とうと夫に電話をしても、こっちはこっちで呼び出しに反応しない。私もしまいには「勝手にせい」と眠りについた。 それでも諦めきれないのは私の方で、結局翌朝、夫を叩き起こすように電話をし、寝ぼけているところに一発、「どういうつもりじゃ!」と喝を入れ、ギリギリのギリギリで、無事仲直りした二人は予定通り、旅をすること

    一粒で二度美味しい - お気楽日和
  • ここらで潮時 - お気楽日和

    あいかわらず調子がどうも、出てこない。 こいうとき、もともと身体が丈夫でないのはいい。「あぁきたな」と思ってやり過ごせばいい。 そう思えるようにやっとなれた。 少し前までは、世間のみんなが、働き、生産し、社会に貢献しているなか、自分は家族にすら「役立たず」の存在で、むしろ心配させていることが情けなく、なんとかしたく、チョコマカチョコマカとやってみては、案の定ぐったり疲れ、寝込む・・・の連鎖の中で生きていた。 常に自分を改善、向上させようとしていた。 もう、いいのではないか。 十分修行はした。私は変われない。 50歳になる今、もう、この辺で、自分なりのほどほどの暮らしにどっぷり浸かってもいいんじゃないだろうか。 疲れたよ。あたしゃ。 亡くなった年の夏だった。庭でまだ2歳だった息子を遊ばせているとき、それを一緒に眺めながら隣に座っていた父が私に言った。 「大きくなったな。あっという間だな」 父

    ここらで潮時 - お気楽日和
  • リセット - お気楽日和

    さてっと。 また、模様替えをした。モヤモヤしている原因はなんだかわからない。 体調不良のせいか、自分が自分の思ったほどのことができないんだなぁと、いうことにがっかりして白けているからか。 ただ、毎日暮らせばいいと思うと、黒か白かと大きくふれて中庸がない私は、このところ毎日、ただ、過ごしていた。 ただ、朝、散歩をし、朝を作り、トイレを磨き、掃除機をかけ、夕飯の支度をして買い物に行き、合間に録画していたドラマとアマゾンの映画を観て、息子が帰ってきてからはなんとなく、付き合ってリビングでゴロゴロ息子のつけた番組を見ているふりをしながらスマホをいじり、10時になると、寝る。 いいんだ。これで、いいんだ。充分じゃないか。 入院していた時は歩くことも許されなかったし、身体中浮腫で悩んだ時には、起き上がることもできなかった。 すげえじゃないか、私。 ぱっと見、普通の主婦っぽい暮らしじゃないか。 あぁそ

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  • アマチュアで生きていこう - お気楽日和

    知るために右往左往したことは 無駄じゃないよ!by masheley 息子の「友達がうまく作れない問題」を昨日、かなりの勇気をふりしぼって書いた。 書いてみたことで自分自身、そのことをあまり深刻にならず、客観的に捉えられることができてよかったと思う。 子供が少し頼りにして自分のことを話してきたとき、私はできるだけ深刻にならないようにしている。もし、「参ったな」と思ったとしても、あえて、そうする。 それは私が母親の言葉に翻弄された過去があるからかもしれない。だが、やはり子供はいくつになってもなんとなく親のリアクションをアンテナにして成長していくように思う。 「僕、今、これこれ、こうなんだよね・・」 と聞かされて、「ええっ?どうして?どうするの?なんでそんなことになってるの?」ともし、私が言ったなら、それは事件になる。大問題だという前提で話は進む。 「僕、こうなんだよね・・」 「へぇ。まぁそん

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