加藤洲十二橋 加藤洲地区は千葉県香取市と茨城県潮来市の県境を流れる常陸利根川の南岸に位置し、地区内を流れる新左衛門川の両側に並ぶ民家をつなぐように12本の橋がかけられています。 利根川下流には、その持ち運んでくる土砂のため三角洲が出来ました。 江戸時代、天正7年(1579)、時の代官・吉田主馬亮の指揮により、新田開拓が始められ、当十二橋のある加藤洲は寛永3年(1626)に整地されました。 ここでは、一島二戸の生活が営まれ隣家との往復のため設けられた橋が、十二あるところから「十二橋」の名が付けられました。 水戸黄門もこの地をよく訪れ、一説には、「潮来出島のまこもの中に、あやめ咲くとはしほらしや」の歌も公の作と言われています。