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!あとで読み返すとthinkに関するwebmarksjpのブックマーク (2)

  • 本物の作り手になりたいなら、「なんかいいよね」を禁止しよう。 | ある編集者の気になるノート

    時間がない。自分の時間がない。 ブログの更新具合を見ていただいてもわかると思うけれど、 いまの僕には、自分のために自由に使える時間がほとんどない。 こういう状態がつづくのは肉体的にも辛いのだけれど、 何より、精神衛生上よくない。 自分には、もっとやるべきことがあるのではないか、 という気持ちがわくと同時に、そんなことすら考えているのが時間の無駄、 と目の前のなんやかんやを片付けている自分がいる。 思考停止。忙しいとは、まさに心を亡くすことなのだなぁと、へんに納得がいく。 そんなときに、この言葉に出会った。ガツンとやられた。 長いけれど引用する。「必ずこうしなければいけない!」というルールではありませんが、もしあなたが、いいコピーを書きたい、すばらしいアイデアをつくりたいと心の底から思っているのなら、ひとつだけお願いしたいことがあります。 明日から、あなたの毎日の生活のなかで、「なんかいいよ

    本物の作り手になりたいなら、「なんかいいよね」を禁止しよう。 | ある編集者の気になるノート
  • いま感じている悲しいとか楽しいとかキモいという気持ちを否定しない -

    いま目の前で仔が死んでいく様子を見て悲しいと思ったり、ディアボロの大冒険をやって楽しいと感じたり、揚げ足取り議論を見てキモいと思ったりすることがすくなからずある。 特にネガティブな感情の「キモい」あたりは、キモいと思うおれがキモいんだキモいとか思っちゃいけないんだこんな感情消さないといけないんだなんてことになりがちで、ただそうやって感情を押し込めて論理やらなにやらで自己解決に走るとたいていあとがつらい。 そうじゃない。キモいという感情は物でそれは疑っちゃいけないものなのだ。 ただし、そのキモいという感情を生み出した心のルールがどうやって自分に組み込まれたのか、そこは疑ってよいのだと思う。 その「疑うための道具」の一つが創作なのだと思う。とりわけSFはもっとも使い勝手のよい道具だと思う。*1 私がSF(っぽい)創作を書くのが好きな理由はそこです。 *1:SFとか創作とか言わなくても、思考

    いま感じている悲しいとか楽しいとかキモいという気持ちを否定しない -
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