善光寺の聖火リレー出発式辞退は問題が多く遺憾である。4/18のテレビの報道番組で会見の模様が放送されていたが、辞退の理由は納得できるものではなかった。当日の長野市民に街頭インタビューした映像でも、善光寺の辞退を意外で残念に思う声が多かった。テレビ局は編集をする。ニュースの報道において街の市民の声を拾って見せるときは、局の報道論調の正当性を補完し証明する手段としてそれを使い、多数一般の声が当報道機関の主張と重なるように演出と操作をする。今回の善光寺の件については、メディア側は善光寺を支持する世論が市民の多数である「事実」を報道しようとしたはずだが、しかし、4/18のニュース映像を見るかぎり、テレビ局側の思惑は外れて、善光寺の選択と判断を積極的に評価する市民の声は少なかった。善光寺で聖火リレーの出発式をやって欲しかったというのが多数の希望であったことは間違いない。 それは、政治と五輪を分けて考