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哲学と内田樹に関するwebmarksjpのブックマーク (2)

  • 妥協と共生 - 内田樹の研究室

    Frauという雑誌の取材がある。 20-30代の働く独身女性が読者層のヴォリューム・ゾーンであるような雑誌で、今回のお題は「結婚したいけれど、できないのはどうして・・・」という切実なるものである。 どうしてと訊かれて即答できるなら、苦労はない。 というのはシロートで、私はどんなことを訊かれても即答することでお鳥目を頂いている身であるから、もちろん即答する。 それはみなさんがたが「他者との共生」を「他者への妥協」というふうに読み替えておられるからである。 「共生」と「妥協」は見た目は似ているかもしれないが、まるで別のことである。 これは武道をやっていると実感的によくわかる。 「妥協」というのは「まず、私がいる」というところから話が始まる。 そこに他者が干渉してきて、私の動線を塞ぎ、私の可動域を制約し、私の自己実現を妨害する。 私はやむなく、自由を断念し、狭いところで我慢し、やりたいことを諦め

  • 情報と情報化 - 内田樹の研究室

    前にラジオでおしゃべりしているときに養老孟司先生から「情報」と「情報化」というのはまるで違うことだと教えていただいたことがある。 情報化というのは「なまもの」をパッケージして、それを情報にする作業のことである。 例えば、獣を殺して、皮を剥いで、肉をスライスするまでの作業が「情報化」だとすると、トレーに載せられて値札を貼られて陳列されたものが「情報」である。 「情報」(トレーの上に並べられた肉)を他の「情報」(隣のトレー)と見比べているときに、(こちらが豚肉で100グラム200円、あっちは牛肉で100グラム400円・・・というような比較をしているとき)それが「情報化」されたプロセスのことを私たちは考えない。 情報の差異の検出に夢中になっているとき、私たちはそもそもそれらの情報がどうやって私たちの下に到達したのかという情報化プロセスのことをできるだけ考えないようにしている。 私たちの脳は同一の

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