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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/ced (2)

  • 高学歴社会の大学―エリートからマスへ - 雑記帳

    以前書いた読後録のリサイクル。大学が大衆化するにつれて起る変化を、エリート型大学、マス型大学、ユニバーサル型大学という三つの段階に分けて検証している。このが出版されたのは1976年だが、その時点で既に大学のマス型化、ユニバーサル型化は問題になっていたということになる。 訳者のあとがきに、このの要約を表にまとめたものが掲載されている(p194-195)。このに納められている3つの論文で繰り返し説明が成されているため、この表を見たほうが理解が早いかもしれない。 高等教育制度の段階エリート型マス型ユニバーサル型 全体規模(該当年齢人口に占める大学在学率)15%まで15%以上〜50%まで50%以上 該当する社会(例)イギリス・多くの西欧諸国日・カナダ・スウェーデン等アメリカ合衆国 高等教育の機会少数者の特権相対的多数者の権利万人の義務 大学進学の要件制約的(家柄や才能)準制約的(一定の制度

    高学歴社会の大学―エリートからマスへ - 雑記帳
  • 〈子〉のつく名前の女の子は頭がいい - 雑記帳

    『“子”のつく名前の女の子は頭がいい―情報社会の家族 (新書y (045))』は目を引くタイトルだけど、これは近頃話題の「バカ」の類ではない。著者もまえがきの1ページ目で早速そのことについて説明している。 はじめに誤解を解いておきたい。僕がこので主張しているのは「〈子〉のつく名前の女の子は頭がいい」ということではないのだ。個人の運命は名前で決まるわけではない。名前をみただけでその人の運命など予測できるはずもない。 目的を明確に述べておこう。書において、著者はマスメディアの副作用について解明している。テレビや新聞が完全に普及し、雑誌やインターネットがあらゆる言語空間を覆いつくすなかで、人々の行動はどのような影響を受けているのか、それを解きあかそうというわけだ。著者の判断ではそれに成功している。 (p5) このは、恐らく日国内の社会学の学会などでは受け入れられないのだろう。何しろ著者

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