タグ

Historyと*columnに関するwebmarksjpのブックマーク (3)

  • 日本メーカーが米国に完敗した真因:ITpro

    ITのインフラでなぜ日メーカーは米国勢に席巻されてしまったのか」。このテーマで日のコンピュータ産業について、猛烈に原稿を書きたくなりました。きっかけは、日経コンピュータ編集部から「創刊25周年を記念してEnterprise温故知新というサイトを作ったので、そこに一筆書いてほしい」と依頼があったことです。ちょっと書けばよいのだろう、と二つ返事で引き受けたものの、20数年間を振り返ってみると一筆では済まないという気になり、一気に書き上げてしまいました。結果として相当な長文になってしまいましたが、ご一読いただければ幸いです。 私は日経コンピュータ創刊3年目の1983年9月に、日経コンピュータ記者として日経BP社(当時は日経マグロウヒル社)に中途入社しました。当時のコンピュータ業界は、前年の82年6月に米IBMの機密情報を巡って日立製作所と三菱電機の技術者が“おとり捜査”で逮捕されるなど、き

    日本メーカーが米国に完敗した真因:ITpro
  • ミュシャが単なる萌え絵描きの元祖だと思っていたら大間違いだ :Heartlogic

    ミュシャが単なる萌え絵描きの元祖だと思っていたら大間違いだ アルフォンス・ミュシャといえば、ああいう絵を描いていた人、というぐらいの認識しかなかった。だから当然女と花とおいしいものに囲まれて愉快な一生を送ったんだろ、ぐらいのイメージを持っていたのだけど、そんな無根拠かつバカな思い込みは大間違いだった。この前に行ったミュシャ展で、その人生に大いに興味が湧いた。 おおざっぱに言って、自らの最も得意な一芸を磨き、都会で大成功して、晩年は故郷のために尽くした、というのがミュシャの人生だ。細かい部分は調べきれていないのだが、私にはじつに理想的な一生だと映る。 (1)偶然のチャンスを掴んで大出世 1860年、モラヴィア(現在のチェコ)に生まれたミュシャは、絵は得意だが勉強はダメ、というパッとしない少年時代を過ごしたようだ。19歳でウィーンの舞台装置などを作る工房に就職し、おそらくは今でいう「大道具さん

  • uumin3の日記:韓国における反日

    親日派:子孫の財産4億6000万円没収を決定(朝鮮日報日語版) という話題が注目されていますが、なぜ韓国がこういうことをするのかということについて以前考えていたことを書いておきます*1。 韓国(朝鮮)が国民国家になってきたのは、日韓併合以降のことです。それ以前の前近代的身分制国家では「近代的国民」と呼べる存在がいなかったか、いてもごく少数でした。国民国家の萌芽的状態だったのです。また同様に、国民国家統合の一つのモチーフとなるべき「民族」はほとんど意識されていなかったのではないかと考えられます。 日による統治によって逆説的にも国民意識や民族意識に目覚めてきた彼らには、すでにその段階から「併合されている」という状態がありました。その時に彼らが進むべき道は「そのまま日人になってしまう」か「日を排除して独立国となる」かの二つの選択肢としてありましたが、前者の道は日の敗戦によって中断され、

    uumin3の日記:韓国における反日
  • 1