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HistoryとIBMに関するwebmarksjpのブックマーク (2)

  • 日本メーカーが米国に完敗した真因:ITpro

    ITのインフラでなぜ日メーカーは米国勢に席巻されてしまったのか」。このテーマで日のコンピュータ産業について、猛烈に原稿を書きたくなりました。きっかけは、日経コンピュータ編集部から「創刊25周年を記念してEnterprise温故知新というサイトを作ったので、そこに一筆書いてほしい」と依頼があったことです。ちょっと書けばよいのだろう、と二つ返事で引き受けたものの、20数年間を振り返ってみると一筆では済まないという気になり、一気に書き上げてしまいました。結果として相当な長文になってしまいましたが、ご一読いただければ幸いです。 私は日経コンピュータ創刊3年目の1983年9月に、日経コンピュータ記者として日経BP社(当時は日経マグロウヒル社)に中途入社しました。当時のコンピュータ業界は、前年の82年6月に米IBMの機密情報を巡って日立製作所と三菱電機の技術者が“おとり捜査”で逮捕されるなど、き

    日本メーカーが米国に完敗した真因:ITpro
  • パソコン25年の歴史--もしあのときこうだったら - CNET Japan

    1981年、IBMの重役たちは、英断とも愚かともつかない決断を下した。ある小企業に、IBM製の新型パソコン向けにOSを提供することと、同じものを他の企業に販売することを許可したのだ。そのパソコンがDOS 1.0を搭載した「IBM 5150」である。 IBM 5150は、Apple Computer製の有名なマシンはもとより当時RadioShackで売られていたTandy製の「TRS-80」と比べても劣っていると評されたものの大ヒット商品となり、その影響はIBM以外の企業にも広く波及した。2年も経たないうちに、PC互換機メーカーの数は25社から100社へと急増し、PCの年間売上高も、業界全体で18億ドルから50億ドルへと急成長を遂げた。 以降のPC業界の繁栄はご存じのとおりである。IBM PCのOSを提供したMicrosoftは、世界最大のソフトウェア企業となり、Hewlett-Packar

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