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Historyとcomicに関するwebmarksjpのブックマーク (7)

  • ◆ 美しい壺日記 ◆ 「慰安所はまさに地獄の場所だった」…水木しげる

    日の水木サン』より 「戦争中の話だが、敵のいる前線に行くために、「ココボ」という船着場についた。ここから前線へ船が出るのだ。そういうところには必ずピー屋がある。ピー屋というのは女郎屋のことである。(中略)ピー屋の前に行ったが、何とゾロゾロと大勢並んでいる。日のピーの前には百人くらい、ナワピー(沖縄出身)は九十人くらい、朝鮮ピーは八十人くらいだった。これを一人の女性で処理するのだ。僕はその長い行列を見て、一体いつできるのだろうと思った。一人三十分としてもとても今日中にできるとは思われない、軽く一週間くらいかかるはずだ。しかし兵隊はこの世の最期だろうと思ってはなれない、しかし・・・・・いくらねばっても無駄なことだ。僕は列から離れることにした。そして朝鮮ピーの家を観察したのだ。ちょうどそのとき朝鮮ピーはトイレがしたくなったのだろう、小屋から出てきた。 (彼女がナニカを排泄する様子の描写)

  • 同人用語の基礎知識/ 同人おたく年表/ 一覧

    おたくと同人とやおいと腐女子と…そこらへんの出来事の歴史年表 コミックマーケット や 「日SF大会」 の開催史を中心に、同人 や おたく の世界を席巻した マンガ や アニメ、ゲームライトノベル、雑誌や書籍、あるいは おたく が好む無線やパソコンのエポックな商品、腐女子 も思わず 萌え るアイドルのデビュー、その他の各種イベントの初回開催時などをズラズラ~っと年代別に並べた年表です (おしゃれ風に云うとオタククロニクル(ぉ)。 各項目の詳細は 「同人用語の基礎知識」 のメインページに譲るとして、おたくや同人の世界を彩った様々な出来事を、ここでは時間軸に沿って見渡し、立体的に感じ取ってもらえればと思います。 補足資料としてお使い下さい。 なお取り上げた作品や商品は、なるたけ公正な選考を心がけたつもりですが… 筆者 の好みがそれなりに出ている年表だとは思いますので、「なんでアレが抜けててこ

  • はてなブログ

    太巻き会2023 -みんなで巻こうLONG太巻き- みんなで長い太巻きを巻いたときの記録です。こんくらいのどデカい太巻きを目指すぞー! [泉]東京都現代美術館コレクション展「MOTコレクション コレクションを巻き戻す 2nd」よりチラシとかあったら気分が上がるかなと思い、こないだのアフタヌーンティー会の前夜に…

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  • いつから忍者は「ござるしゃべり」なのでござるか | エキサイトニュース

    写真は伊賀市内を走るストレンジなミニバス、忍者号。黒井宏光さんが頭領をつとめる伊賀流忍者集団・黒党の忍術パフォーマンスは、海外でも人気があるそうです。 マンガや映画で、忍者がしゃべるときの記号的表現にもなっている、「〜でござる」という語尾。藤子不二雄Aの『忍者ハットリくん』のハットリくんが使ってる、あの「ござる」だ。 片ひざついて頭下げ、「〜でござる」と言うだけでもうなんか、忍者な気がしてくる。 しかし、だ。 忍者の里として有名なのは、言うまでもなく伊賀(三重)・甲賀(滋賀)。三重も滋賀も、関西系の言葉をもともと使っているはずで、ござるなんて語尾は、どっちの方言にもなさそうだ。物忍者は、実際には「ござる」とは言ってなかったのではないか? じゃあ、なんで忍者が話すときには「ござる」という記号が定着したのか。 各地で忍者ショーや忍者教室を行う、伊賀流忍者集団・黒党(くろんど)頭領、伊賀流忍術

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  • アンパンマンができるまで その3 - 愚仮面

    余はここに 漫画集出版を 全ビール国民に対して 布告する ビール国王 ボクはあこがれるなあ 王者の風格に 高貴純潔慈愛のまなざし ゆっくりと微笑して 心は四月の太陽のようにあたたかい ああ王さま ボクも あなたの国へ行き あふれる涙は正義のため マンガかくのはお金のためじゃない みんなをニッコリ笑わせる あなたの政策に協力したいのです (やなせたかし 「アンパンマンの遺書」) 1973年。それは、やなせ先生のターニング・ポイントの年でした。 詩集を出したサンリオ社がどんどんと大きくなり、やなせ先生の詩のも順調に売れていました。 そこで社長に詩の雑誌を作ることを持ちかけたやなせ先生。 季刊誌の薄いものでいい、編集費は無料で自分の独力でやるから、と頼み込んだところ、二つ返事で了承されて、「詩とメルヘン」が創刊とあいなりました。 これが良く売れたので、すぐに月刊誌へと移行。「『詩とメルヘン』の

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  • 「アニメの制作費が安いのは手塚治虫のせい」というのは本当か・その2 - 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)

    これは以下の日記の続きです。 →愛・蔵太の少し調べて書く日記 - 「アニメの制作費が安いのは手塚治虫のせい」というのは当か コメント欄というのは開放しとくといいことがあるもので、整理してこちらに載せてみます。 →愛・蔵太の少し調べて書く日記 - 「アニメの制作費が安いのは手塚治虫のせい」というのは当か(コメント欄) # じーぐ 『 Wikipediaの虫プロの項には、当時のアニメータはとんでもなく高給取りだったと真逆の事が書いてありますね。 これが当ならすごい話です。どこでどう情報が曲がったのかあるいは見方が違うのか。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%AB%E3%83%97%E3%83%AD なお現在と異なり、当時のアニメーターの給与はとんでもなく高く(航空会社パイロット並)、高卒で5年働けば家が建つ唯一の職場と呼ばれていた。(某商業高校では、

    「アニメの制作費が安いのは手塚治虫のせい」というのは本当か・その2 - 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)
  • 「まんがエリート」と「おたく」の間に(1): たけくまメモ

    もう少し「オタクの起源」の話題を続けます。 実は俺の棚には虫プロ商事発行の「COM」がほぼ全冊揃っているんです。時々取り出してパラパラと眺めているんですが、創刊号(1967年1月号)の表紙を改めて眺めて、そこに大きく載っているキャッチフレーズを見て感慨深いものを感じました。 ←「COM」1967年1月創刊号・虫プロ商事発行 左がその実物ですが、タイトル下に大きく水色の文字で「まんがエリートのためのまんが専門誌」と印刷されているわけです。 歴史的に見ると、まず1964年に青林堂から「ガロ」が創刊され、看板連載の『カムイ伝』が左翼大学生を中心に人気を博します。この頃、手塚治虫の虫プロはすでにテレビアニメ『鉄腕アトム』を制作放映しておりましたが、同時に視聴者向け会員誌「鉄腕アトムクラブ」を発行していました。 ←「鉄腕アトムクラブ」1966年7月号・虫プロ商事発行 これはディズニープロが戦前から

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