浅田彰(あさだ・あきら) 京都大学経済学部卒業。京都大学経済研究所・准教授を経て、京都造形芸術大学大学院長就任。1983年、『構造と力』(勁草書房)を発表し、翌年の『逃走論』(筑摩書房)で提示した「スキゾ/パラノ」のパラダイムとともに、「浅田彰現象」とも呼ばれる「ニューアカデミズム・ブーム」を生んだ。その後、哲学・思想史のみならず、美術、建築、音楽、舞踊、映画、文学ほか多種多様な分野において批評活動を展開。著書に『構造と力』、『逃走論』のほか、『ヘルメスの音楽』(筑摩書房)、『映画の世紀末』(新潮社)、『20世紀文化の臨界』(青土社)など。 中沢新一(なかざわ・しんいち) 思想家・人類学者/明治大学野生の科学研究所所長。 著書に、『チベットのモーツァルト』『森のバロック』『雪片曲線論』のほか、『芸術人類学』(みすず書房)、「カイエ・ソバージュ」シリーズ(全五冊)『アースダイバー』『大阪アー
『存在論的、郵便的』の出版から15年。 そのあと『動物化するポストモダン』を書き、『クォンタム・ファミリーズ』を書き、『一般意志2.0』を書き、『福島第一原発観光地化計画』を出版し、現代思想からずいぶん遠ざかっていると思われているぼく(東浩紀)ですが、デビュー作にはすべてが入っているとの格言(?)のとおり、『存在論的、郵便的』にはその後のすべての著作の萌芽が入っています。そして、それをいちばんよく知っているのは、むろんぼくなわけです。本来ならばそれをだれかに読み解いてほしいのですが、いっこうにだれもやってくれそうにないし、自分でやることにしました。これはそんな講座です。 『存在論的、郵便的』を最初からじわじわ読んでいく不定期の連続講座になります。よろしくです! (東浩紀)
芸能事務所platonicsを立ち上げ、今春にも新アイドルグループをデビューさせるべく候補者募集に乗り出した濱野智史。 年間300本のアイドル公演に参戦するなど、アイドルファンとしての顔を表に出して総合プロデューサーの任を務める濱野には、ゼロ年代の重要文献になった『アーキテクチャの生態系』など、情報環境研究者としての側面もある。著書『前田敦子はキリストを超えた』は、アーキテクチャ論を下敷きにしながら、アイドルが社会に果たす役割を考察している点で、濱野のふたつの側面がともに表れた作といえるだろう。「これから必要とされる、真のアイドルの形」を探るplatonicsは、それらふたつを融合させる試みにほかならない。これから生まれようとしているアイドルグループは、まさに濱野の理想を体現した存在になるはずだ。 濱野がplatonicsで実現しようとしていることはなんなのか。そして、アイドルは本当にキリ
学歴はこの国においてどれほどの意味を持つのか? この巨大な問いに対し、共に最高学府である東京大学を卒業し、博士号までをとっている茂木健一郎と東浩紀が激論を交わす! 偏差値、学歴があたかもひとりの人間の能力値をそのまま示してくれるかのような空気が、日本には確かに存在する。 しかし、大学入試における偏差値などというものは、人生におけるある地点での「スナップショット」のようなものに過ぎない。仮に偏差値の低い大学に入ったところで、その後の経験、努力によって能力を示すことはいくらでもできるはずだ。 しかし、学歴社会への強い信仰はしばしばその可能性を捨象してしまう。 下位とされる大学に入った人間は、周りから下位と認識され続けることに疲れ、努力に価値を見出せなくなっていく。 他方、上位の大学に入っても、そこでエネルギーを使い果たし虚脱状態になってしまったり、自身の卓越性が証明されたという思い込みによって
(当日開催のイベントではありません。録画を放送します) ※この時間は【6/21収録】大森望「SFに何ができるか――"伊藤計劃以後"の現代SF展望」第2回(全3回) を放送する予定でしたが、こちらのイベントが好評のため急遽予定を変更してお送りします。 3.11から3年。 福島第一原発の事故処理は依然として進まず、 県内のがれき処理も、まだまだ終わるきざしが見えない。 2020年の東京オリンピックの招致には成功したものの、 都知事選挙は混迷を深める一方で、未来への不安は増すばかり。 一方国政では、特定秘密保護法の強行採決、集団的自衛権の解釈改憲など、自民党の長期政権化に伴って、戦後日本のシステムが大きく変わろうとしている。 今年1年、ニッポンの社会はどのように変わっていくのか。 そして、私たちにはなにができるのか? 2013年の重大事件を総括し、 これからの12ヶ月を大胆予想。 『「絶望の時代
(当日開催のイベントではありません。録画を放送します) 『存在論的、郵便的』の出版から15年。 そのあと『動物化するポストモダン』を書き、『クォンタム・ファミリーズ』を書き、『一般意志2.0』を書き、『福島第一原発観光地化計画』を出版し、現代思想からずいぶん遠ざかっていると思われているぼく(東浩紀)ですが、デビュー作にはすべてが入っているとの格言(?)のとおり、『存在論的、郵便的』にはその後のすべての著作の萌芽が入っています。そして、それをいちばんよく知っているのは、むろんぼくなわけです。本来ならばそれをだれかに読み解いてほしいのですが、いっこうにだれもやってくれそうにないし、自分でやることにしました。これはそんな講座です。 『存在論的、郵便的』を最初からじわじわ読んでいく不定期の連続講座になります。よろしくです! (東浩紀)
【チケット詳細はこちら http://peatix.com/event/21864/ 】 私たちが夢見るべき真の《民主主義》とはどのようなものなのか? 國分功一郎は『来るべき民主主義――小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題』の中で、私たちが依拠する議会制民主主義の決定的な欠陥として、主権を立法権と同一視するという理論的前提があるために、行政が物事を決定する過程に民衆が関われなくとも民主主義を標榜できてしまうことを挙げた。 そこで國分はひとつの解決策として、議会そのものの改善ばかりを目指すのではなく、民衆が政治に関わるための制度そのものを多元化することを提案した。 このような國分の思想に対し、『一般意志2.0』において、ルソー、フロイト、グーグル、さらにはローティ、ツイッター、ノージックを参照しながら、情報技術時代における「政治」「国家」「公共性」のラディカルな再構成に夢を見た東浩紀は
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