《発展する面白さ》という体験価値を与えるシェアリングスペースに、行動力を伴わない批評家がいると困るという話。 自分が《住み開きの古民家「ギルドハウス十日町」》を設立してから1年半が過ぎました。これまで延べ4,300人を超える訪問を受け、相変わらず、ゆるやかながらも刺激的な毎日を過ごしています。 くるひと来る人の話を正面から受けとめたり、もしくはみんなの会話を少し離れたところから聞いてみたり、その姿勢はさまざまです。 そんな1年半で感じたことのひとつに、「行動力を伴わない批評家がいると困る」ことがあります。 そういえば、先日のニュースでの東京都知事の発言が良かったです。 「みなさん一人ひとりが批評家ではなくて実際にプレーヤーとなって ...」 ギルドハウス十日町に集う人の多くは、プレーヤーもしくは冒険者の部類に入ると思うんです。そこに行動力や挑戦を伴わない批評家タイプの人が混ざると、とたんに
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