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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/chaturanga (3)

  • チャトランガ夫人の恋人 - チャトラン村には寛容な人が多いのに ><

    ナショナリズムは、排外的な時ほど高揚する。はてなの村意識にも、これに似たようなものがあるんじゃないかなあ。特に「はてなブックマーク」が批判される場合の論争なんかを見ていて、ときどきそう思っていました。 ただ、こう自分で書いておいてなんですが、いま改めて思うに、はてな村の方々は、個人個人ではそんなに排他的ではないんじゃないか、と。むしろその逆で、何かにつけ、多様な価値観を認める寛容な人が多い。特に声の大きいコメンテーターは。やあやあ、我こそがもっとも寛容なるブロガーであるぞ、お前は狭量だな、と競い合っているように見えることさえ。そういう印象が私にはあります。それなのに村だ村だと言ったり言われたり、魔女狩りだなんだと排外的な風に思ったり思われたりもする。これはなぜなんだろう、と。 最近、ブクマ論や無断リンク禁止関連のエントリのために、閉鎖したり更新停止になったりするはてなダイアリーをいくつか立

  • レッテルのインフレ ──もう右翼は右翼、左翼は左翼で良いのでは? - スマイル・トレーニング・センター

    今は昔、『左翼がサヨクになるとき』(磯田光一,1986)というがあったとさ。島田雅彦のデビュー作『優しいサヨクのための嬉遊曲』に刺激をうけて書かれた面白い評論。この時は、「左翼」が「サヨク」と表記されることに批評的意味があった。左翼が時流からずれ、従来もっていたアウラを失い、滑稽にすらなってきた様をあらわすのに、適切なレッテルの張り替えだったのだ。 その後、特に小林よしのりがこの「サヨク」表記を好んで多用し、一般にもひろく定着した。ネット時代になり、「右翼」も「ウヨク」になった。 ネットがいっそう普及して、レッテルの張り替えは加速する。「サヨク」は、「サヨ」になり、「ネットサヨク」になり、「ブサヨ」にもなった。「ウヨク」は、「ウヨ」になり、「ネットウヨ」になり、「特定ウヨク」にもなった。ついでに「保守」も、「ホシュ」になったりした。例えば、小林よしのりと渡部昇一の『愛国対論』(2002)

  • 憲法九条と九十六条に関する素朴な疑問 - スマイル・トレーニング・センター

    世は護憲だ改憲だ、またその言葉には飽き足らず加憲だ愛憲だ創憲だといろいろ言っています。私は『あほ拳ジャッキー』を愛読していました。あれはブルース・ソーとか斬新なキャラクターが出ていてすばらしい漫画ですので、ぜひプロダクションI.Gとかにアニメ化してほしいと今でも思っています。 それはさておき、私は昔から現日国憲法についてよくわからないことがあって、そのうちの一つをエントリします。法学の世界ではとっくに結論の出ているようなことかと思いますが、私はその世界に疎いので、ご存知の方に教示いただけたらと考え書いてみます。 まず、言わずと知れた憲法九条の条文はこういった内容。 第九条一、日国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。二、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は

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