タグ

ブックマーク / matakimika.hatenadiary.jp (14)

  • アニメ感想が読みたいんだが案外むずかしい -2009-05-21 - また君か。@d.hatena

    アニメ体力問題への対応をはじめてから五年が経過した(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20040406#p3)。五ヶ年計画とかではないけど、おれのオタ生活も随分アニオタ側に揺り戻せたという実感がある。さらなるやり込みによって、その実感を貪欲に追求していきたい。というようなわけで最近はじめたのが他人のアニメ日記漁りで。しかし、これが意外とむずかしい。ゲーオタとしてのほかのゲーオタ日記漁りなら、それほどむずかしくはなかったんだが、慣れの問題かなー。 アニメ関連のブログを辿っていると、批評っぽいのとか界隈トークとか業界ニュースとかは色々あるのだけど、おれが想像するような「ふつうのアニオタ日記」がなかなか見付からない。アニメ界隈は、ゲーオタ界隈同様に、部外者からみてよくわからん独自発展を遂げたような形跡があって、なぜいまこのノリになってんのかが、おれのような新規参入

    アニメ感想が読みたいんだが案外むずかしい -2009-05-21 - また君か。@d.hatena
  • 最近のインターネット - はてな匿名ダイアリ関連 2 - matakimika@hatenadiary.jp

    引き続いて(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20080724#p3)。はてな匿名ダイアリにあり、ほかの匿名コミュニティにはあんまりない「自意識っぽさ」はなぜ生じているのだろうという、その原因には「コミュニティがシステムを選択する」「システムがコミュニティの性質を規定する」の相関関係があるだろう。ユーザの気質については前回書いたとおり、 「就職活動&新社会人系を代表とする、啓発耐性低いかんじの多感&こじれた界隈の集合意識が欲望するストーリー作成&消費の願望が、自己アピール×ライフハック×ケータイ小説みたいな悪魔合体を経て、なんかあんなかんじの有様として定着」みたいなかんじ の理解でいいだろうと思っているけど、システム側にはどういう特徴があったんだっけなーと思ってはてラボにログインしてみると、なんとなくわかった。 はてな匿名ダイアリは、匿名で発信できるメディア

    最近のインターネット - はてな匿名ダイアリ関連 2 - matakimika@hatenadiary.jp
  • 最近のアニメ - 鉄腕バーディ DECODE 関連 - matakimika@hatenadiary.jp

    だんだん好きになってきたかも。毎週を楽しみに待つというところまでは行ってないんだけど。 ずいぶん序盤に青い相棒が死んじゃって、あーこのキャラ好きだったのになーと思いつつグレンラガンの第二部など再視聴したりした。リーロンが似てるんだよね。リーロンより好き。 格別おもしろいと思ってないうえに、わかりやすい消費の仕方が固まっているアニメというわけでもないけど、見てるなー。つまり消耗品として提供されていないアニメで、当代一流というにはちょっと華がない気もしつつ、しかしいまどきに「消費されづらさ」というのは「売りづらさ」と読み換えられられかねんところもあってリスクを感じないでもない、というような自分の視線は忌々しいなーとか、考えつつ見ているような。 前にも書いたけど(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20080727#p3)、バーディの世界って冷たいんだよね。ぬるくな

    最近のアニメ - 鉄腕バーディ DECODE 関連 - matakimika@hatenadiary.jp
  • また君か。@d.hatena - 「趣味は人間観察です」問題

    ところで成句「趣味は人間観察です」は、いろんな経緯があってのことだが、発声即ち「自分は自意識過剰の痛いひとです」という主張を意味するので、取り扱いが簡単でない。ようするに、 観察する側の人間である=行動する側の人間ではない=場の主流派に所属していない、まして集団の主導的立場に立つ機会などほとんどない人間である、と言っているのに等しい(もちろん個別の例外はあるが、それは後々カスタマイズしていけばよいだけのことで、データベース型の第三世代人間関係インデックス能でマッピングする際は、初期位置をそこにセットするのが自然だ)。コミュニケーション至上主義勢の用語で一言でいえば「さびしいひと」。 なぜここで「まして集団の主導的立場に立つ機会などほとんどない」とまで断定できるのかといえば、それができるひとの大概はそれなりの人間観察能力を持ちつつもそれをあくまで手段として使っているから。趣味的な観察はあくま

    また君か。@d.hatena - 「趣味は人間観察です」問題
  • また君か。@d.hatena - なんで [B] ならよくて [☆] はイヤか。

    かんたんに書き出すと、 はてなブックマークは、それがついたページの管理者が関与する必要のないサービス はてなスターは、それがついたページの管理者が関与することで意味が出てくるサービス というかんじ。 この日記のページの管理者はおれだけど、はてブエントリ詳細ページの管理者は株式会社はてななわけで、そこから先はおれのもんじゃないからどうなろうが知ったことではないという話なんだけど、はスターはなー、なんか自分に関係なくはないっていうか、わりと関与していかないと意味がない、あるいは管理者として一旦そこにコミットしてしまえば、継続してコストを投じ続けざるをえなくなってゆくサービスに思えてくる。あと、この日記の管理画面には、ログインしてれば日付の横に出る「編集」ていうボタンから入るわけなんだけど、そこにあるバックヤード感みたいな、操作と画面遷移のステップがおれにとってはけっこう重要だと思っていて、それ

    また君か。@d.hatena - なんで [B] ならよくて [☆] はイヤか。
  • 馬鹿から搾取しようとして偏差値を下げる秀才たち - matakimika@hatenadiary.jp

    背伸びしなければ成長できないわけではないが、成長したいという欲望は実際の成長に役立つし、背伸びはどうしても成長への欲望に付随する、ので、やむをえない過剰さとして見過ごすのがよかろうとなる。が、背伸びが屈折すると優越感を得たいという欲望にすりかわってきて、このへんになるともはや別口だろうしどうしたものかと思うが、しかし成長の過程で手ごたえだとか確かさがあったほうが楽しいしやりがいも出てくるってのも事実だし、成長可能性の間口は広いほうがよいのだから、やはりそこも見過ごすのがよかろうと判断、することはできる。 第一、優越感ゲームってのは結構むずかしいのである。なにしろ、日夜ニッチにはしる努力ばかりしている類のオタだのサブカルだのというのは、その先進性がふつうのひとにまったく理解されない。理解されないというのは、言い換えれば劣等感をもってくれないということだ。そして、劣等感をもってくれない相手には

    馬鹿から搾取しようとして偏差値を下げる秀才たち - matakimika@hatenadiary.jp
  • はてなカラス OFF 会 2 - matakimika@hatenadiary.jp

    昨日(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20070720#p2)からの続き。実際金曜夜から土曜朝までの OFF 会だったので、この日付でもよかろう。 全体の流れ。一次会は居酒屋で、当初 12 名予定だったがなんのかんので増えて確か 14 名(2 時間会費 3,000 円飲みほうだい)、二次会は喫茶店で安上がりに夜半まで粘るコースで人数は増えたり減ったりしつつ同数程度(4,5 時間支払個別 1,000 円弱)、2.5 次会に替え玉無料の豚骨風ラーメンべて(30 分支払個別 500 円)、三次会は居酒屋のカラオケルームで 10 人くらいだったか(2 時間弱い物注文したひと多め負担の割り勘 1,000 円程度)。で明け方になったので散会。 全員がひとつの話題を共有するのは 6 人程度の OFF 会までが限度で、10 人超えて座席も横長だとだいたい 4 〜 6

    はてなカラス OFF 会 2 - matakimika@hatenadiary.jp
  • また君か。@d.hatena - はてなカラス OFF 会

    はてなーのひとが集まる会があるというので参加した。ところで、なぜおれがはてなーをはてなーと書くのかについては理由がある。 はてなーとは、いはゆる「はてな村」で主に活動が観測される、はてなアカウント所持者である。 当然、はてなアカウント所持者の中で、「「はてな村」で主に活動が観測される」ようなひとは少数である。 いはゆる「はてな村」とは、その「いはゆる「はてな村」」という幻想それ自体を共有している界隈のことと定義できる。その範囲は、「いはゆる「はてな村」」と各個の定義する範囲が自然に異なるために(観測範囲も違えば判定基準も違うことから)、一致しない。一致はしないが、そうした齟齬がまたノイズを生んで、ノイズは格好のひまつぶしだから、話がひろがったり延焼したりグダグダになったりして、全般的にコミュニケーション機会を生んでいると。齟齬が対話を生み、対話してしまえば関係性を生んで、関係性が生じてしま

    また君か。@d.hatena - はてなカラス OFF 会
  • はてなスター雑感 - matakimika@hatenadiary.jp

    http://s.hatena.ne.jp/ http://m.hatena.ne.jp/ はてな社の新サービス「はてなスター」がリリースされた。一緒に「はてなメッセージ」というサービスもリリースされていて、どっちが基幹に近いサービスなのかよくわからないというか、とりあえずはセットで考えたほうがいいということなのだろう。後々ほかのサービスとの連携とか取り込みとかで重要度や活用形態が変わってくるかもしれないとして。 適当に Twitter にメモしたことなどまぜこぜでズラズラ並べる。 事前告知なく、はてなダイアリーに実装され、しかも(有料無料問わず)ユーザ側で OFF にできなかったので反発も。 というかなにをどうするとどうなるものか最初全然わからん。説明も足りない気がする。こういう「どう使ったらいいのかよくわからない説明も少ないサービスをとりあえず使わざるをえない状態で、ユーザがそのサービ

    はてなスター雑感 - matakimika@hatenadiary.jp
  • 電脳コイル 夏祭り、そして果し合い - matakimika@hatenadiary.jp

    先週放送の「夏祭り、そして果し合い」まで追いついたら感動した。いいエピソードだ。フミエへのダイチの恋がだ。淡い。淡すぎる。結婚しろ。 フミエは明るくてしっかり者で弟が居るせいもあってかガキっぽい男の扱い方がうまく、ダイチのようなキャラクタに対して完璧超人に近い。静止画としてあんまりかわいくないところもいい。このてのアヒル顔は動くとかわいいのだ。そりゃーおまえイチコロよ。この年頃なので女子のほうが全般的に男子より身長が高いのだが、フミエの場合あんま身長差がなく、そのへんでダイチが妙な距離感を抱かずに済んでいるのはラッキーだし、一方で変わっていく女子への焦りみたいなものもありつつ、ダイチは己の幼児性を引き回しつつもがいている。 そのバランスが微妙に崩れる夏祭り。ダイチ自身の夏祭りへの意気込み、夜という時間帯、祭り会場の浮ついた雰囲気、かわり映えのしない男子ズに対して学校と違う表情を見せる女子ズ

    電脳コイル 夏祭り、そして果し合い - matakimika@hatenadiary.jp
    westerndog
    westerndog 2007/07/05
    ダイチかわゆす
  • また君か。@d.hatena - 「好き」「良い」「正しい」

    褒め方、というほどのことでもないが、なにかに対して取る肯定的な態度として「好き」「良い」「正しい」などがある。この逆は、「嫌い」「悪い」「誤りだ」になる。大雑把なひとはこれらをあまり区別しないし、またセンスの良いひとは意図的に混同させつつ駆使するが、細かい話をすればこの三つは前提がかなり違う。 たぶんこんなかんじ。 ○ × その態度の前提とするもの 好き 嫌い 主体性 良い 悪い 文脈の理解 正しい 誤りだ 体系の理解 「好き」「嫌い」は、発言者の主体がなければ判定できない。でもまあふつう主体のない人間は居ないので、もっとも要するコストの低い発言ではある。 「好き」「嫌い」は対象への評価のニュアンスを持ちながら、その発言自体評価を受けるニュアンスをほとんど持たない(意図と生じる関係性が極めて直線的だからだと思う)。ただし、それゆえに集団において「それを好き / 嫌いという主体」についての分

    また君か。@d.hatena - 「好き」「良い」「正しい」
  • Wii のメール機能 - また君か。@d.hatena

    Wii にはメール機能があるのであれこれ登録してみた。ほかの Wii とつながるし、ふつうのメールアカウントともメッセージを送受信できる。画像も一枚添付できるようだ。入力がわりと手間なのであまり長文のやり取りはしづらいが、受信するぶんには問題ないし、まずます良いかんじの機能といえる。…と思ったんだけど十分にデジタルガジェットの行き渡っている家の場合、メッセンジャの受け口がいっこ増えただけという気がしなくもない。前世代機時代にあった「なんだかやたらとリビングに DVD ビデオ再生機能を持った機械が増えてしまう問題(DVD プレイヤと初代 XBOX と PS2 と PC、みたいな)」と同様の、「なんだかやたらとメッセンジャ機能をもった機械が増えてしまう問題」だ。おれの現状でいうと、ノート PC では主に Skype を使っていて(音声会話・文字チャット機能)サブで Windows Messen

    Wii のメール機能 - また君か。@d.hatena
  • また君か。@d.hatena - 個性話

    体質とか能力による分化と環境や教育による分化の合成で個性は培われるが、自分で自分の個性を感覚するのには、取っ掛かりがないとむずかしいといえる。で、世間というのは取っ掛かりそのものなので、個性の自覚の実際は、それほどむずかしいものではない。ようするに、「やってみようかな」と思ったことができなかったり、より質的には、「やってみようかなと思うことのできないこと」があったら、それが個性の境界線だ。その内側までが自分、外側が自分以外。やろうと思ってできないことは能力的限界で、たぶんそれはあんま個性とは言わない領域なのだろうが(おれの辞書だとそれも個性だが)、まあともかく補助線にでも使えばいい。で、たぶんやってやれないこともないはずなのに、なぜだかとにかくがんばろうと思うことができないという境界が、わりと一般的に個性と言われるものと近いだろう。 100m 走で 10 秒切ってみようと思って切れなかっ

    また君か。@d.hatena - 個性話
  • また君か。@d.hatena - はてブ動員力関連

    ユニークアクセスだとそんなにはいかないと思うけど、ほかのニュースサイト動員力話もだいたいが「公称」ベースであることを考えればべつに問題なかろう、というような筋合いで、はてなブックマークの注目エントリ入り効果はいちおう瞬間風速 3,000 アクセス近くまでいく場合があることはおれの日記上でも確認している。いまのところおれの日記上で観測された最大値がこのへんという話で、平均というわけではまったくないのでアレだが、そろそろ場合によってはカトゆー家断絶やかーず SP 等の、いはゆる大手と呼ばれる個人ニュースサイト程度の動員源になることもあるんじゃね?という資料として。平均の話でいうと、おれの日記の場合は注目エントリ入りすると、だいたい 500 〜 1,000 アクセスくらい増える。これは中堅どころの個人ニュースサイト程度の動員力と認識している。けどまあおれの日記はあんまブログ力を駆使して世の中と連

    また君か。@d.hatena - はてブ動員力関連
  • 1