宮城県石巻市は江戸時代から仙台藩62万石の貿易拠点として、また北上川から太平洋への乗換港として発展した街である。中州を挟んだ北上川の両岸には南部藩はじめ北上川流域諸藩の蔵屋敷が並んでいた。地図をみると福岡の中洲、大阪の中ノ島、パリのシテ島、NYのマンハッタンと似た地形である。旧市街地は主に北上川の西岸に広がり、川に並走する道に沿って街割された。山を背に、前面には北上川を向いていた。 明治になってからも水上交通の拠点であることに変わりなく、人や物資が行き交っていた。中州を挟んだ北上川の両岸には内海橋が架かり、これに続く通りは「橋通り」と呼ばれた。橋通りと、これに交差する北上川から一筋奥の通りが当時のメインストリートで、警察署や銀行本店が軒を並べた。昭和30年には丸光百貨店が開店した。北上川沿岸の汽船の発着場や河口にあった魚市場から立寄りやすく人の往来が多かった。 街に最初の変化があったのは昭
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