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2006年7月21日のブックマーク (2件)

  • 人生の先達 - とは云ふものヽお前ではなし

    だいぶ年上の女性と雑談していて、厄年の体験談になったことがある。 彼女は大厄のとき、一軒の借家に住んでいたという。昭和の半ば過ぎの話だ。 小さな子供がいて、旦那さんは出張が多かった。そのときも家を空けていたそうだ。夜、彼女は子供を寝かしつけ、自分も布団に横になった。 ふと夜中に目が覚めると、おかしな気配がしたという。室内の暗がりに、何か影がいる。 彼女は驚いて声を上げた。 すると影は急に動いた。見知らぬ男となって彼女にのしかかってきた。隣で寝ている子供は、目を覚ます様子はない。旦那さんは今日は帰ってこない。恐怖と混乱で痺れそうになりながら、彼女は手足をばたつかせて必死で抵抗した。 しかし男の方が力が強い。徐々に疲労してもうこれまでかと観念しかけた彼女は、自分でも思ってもみなかった言葉を発したのだそうだ。 「ああ、神様‥‥!」 無宗教の彼女が、どうしてこのときこんなことを口走ったのか、今でも

    人生の先達 - とは云ふものヽお前ではなし
  • 空中キャンプ-自殺なんかしたらだめに決まっているじゃないか

    世の中には、議論することそのものが、無意味でむなしい問題がある。それはたとえば、人には自殺をする権利があるのか、また、人を殺すのはなぜわるいのか、などであり、わたしはこうした議論を真剣におこなっている者を見るたびに、憂な気持ちになるのだった。いやだなあ、とおもう。問いそのものがむなしい。こういった問いを発することが、なにやら重要で、真摯である、とでもいいたげな態度がいやなのだ。なぜ、かかるつまらない問いを、まじめに引き受けるのだろう。「そんな、ばかな質問に、誰が答えてやるものか。このくされ鮹」と一喝した後、飄然とうどんをえばいいのにとおもっていた。 春日武彦著、「17歳という病」(文春新書)には、実に納得させられた。上記の疑問が、一気に溶解したためである。なんか、すっきりしたよ。やはりこれは、質問そのものが、くだらないのである。そういった疑問を持つこと自体、不遜で、幼稚なのだ。春日がい