藤田嗣治(レオナール・フジタ) Leonard(Tsuguharu) Foujita(1886-1968) 私はフランスに、どこまでも日本人として完成すべく努力したい。 私は世界に日本人として生きたいと願う。 それはまた、世界人として日本に生きることにもなるだろうと思う。 「カフェにて」1949-63 電車の中で見た展覧会のポスターが、どうしても気になって仕方なかった。 それまで意識したことがなかった、Foujitaへの扉を開いた一枚。 漂うデカダンスにメランコリー。 陶器のような肌に優美な輪郭線。 異邦人のFoujitaが見た、仏国の1ページ。 藤田嗣治は家老の家柄に次男として生まれた。母を早くに失い、畏敬する軍医の父(のちの軍医総監)は医者になることを望んでいたが、14の時嗣治が画家になりたいとあらたまって告げると、黙って画材を買うための大金を渡したという。 東京美術学校へ入学するも、