どうやら母自身には差別をする気持ちはないのだが 世間からの風当たりを考えてそのような人達と結婚して欲しくない、という考えだそうだ。 いや、差別を容認する姿勢こそ"差別"だと思うんだけど… 「肉屋、鞄屋の人とは結婚して欲しくない」 この増田を読んでちょっと思ったこと。 差別はいけない、というのは彼女の言うとおり、教育/啓蒙の問題で、重要なのはこの啓蒙は個人に対して訴えるということだ。 誰でも差別は良くないと考える。だが考えるのは自分だけか? 増田は自分で考えている、だが母は自分のことではなく増田のことを考えている。 増田のことを考えるのは増田だけではない。 啓蒙はこれをうまく説明できない。多分、啓蒙はあくまで"他人と切れて完結した個人"に対してのみ訴えるからだ。自分が自分自身に対してのみ責任を持って考えるときに役に立つものだ。 母が自分のことでなく他人(娘)のことについて、彼女に成り代わって