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ブックマーク / nekoprotocol.hatenadiary.org (3)

  • バナナ考えたヤツ天才じゃね? -

    よく言われることだけどバナナ考えたヤツは天才すぎるというか、でもだってまず皮がヤバイ。外皮ヤバイ。剥きやすい。スイカやメロンはバナナ見習えっつー。 そりゃみかんも剥きやすいよ? でも薄皮ジャマ。薄皮うんか出すんかで人間を悩ますとこがダメダメ。その点、バナナは外皮オンリー。しかも種もない。種なし。種を出すアクションが不要。ワンアクションでべられる。ワンアクションフード。 べるペースも調節できる。大きい口なら一口で、小さい子ならそれなりに。外皮はソフトクリームのコーンみたいに持ち手にもなっちゃう。なんというべやすさ。なんという無駄のないインタフェイス。 外皮のないイチゴなら、皮剥く必要ないじゃんとか言う。ほら、きた。じゃあイチゴさん聞くけど、おまえ農薬からガードできんのかよ。バナナの外皮は防毒、保湿、長期保存ばかりか、携帯性にもすぐれちゃってる。直接、持って散歩に行ける。 あと房。バナ

    バナナ考えたヤツ天才じゃね? -
  • 近所の団地を通り抜けるとき必ずカレーの匂いがする。 -

    近所の団地を通り抜けるとき必ずカレーの匂いがするのだが、当然一つの家庭において毎日カレーを作っているわけではない。団地の中で、毎日どこかの家がカレーを作っているということである。お隣さんがカレーを作っていて、あら明日あたりウチもカレーにしようかしら、わーいぼくんちカレーだー、なのである。 ここでおれが驚愕するのは、要するに大量の人間がいる空間においては必ず誰かしらカレーのことを考えているということだ。誰かしらの思考の一部を必ずカレーが支配し、次々に別の脳に連鎖してゆく。匂いなどという確実性のかけらもない媒介物質を利用してカレーは脳から脳へ飛びわたる。あたかも聖火の炎が途切れることなくリレーされていくかのように、吹けば飛ぶようなあやういバランスの上で連なっていくのだ。 聖火か──。カレーの連鎖にも聖火リレーのように最後があるのだろうか? いつしか最終ランナーが現れるのであろうか? 感動の大団

    近所の団地を通り抜けるとき必ずカレーの匂いがする。 -
  • あなたの文章を殺すのは誰か。 -

    あなたがWEBに書いたその文章ですけど。 誰かに伝えたくて書いていたとあなたが思うのならば、誰かに伝わらなくちゃ当とは言えない。伝わりさえすればその文章も望のはずです。伝わる相手が誰であろうとも。 誰か見知らぬ人に伝わった段になって、叩かれてこき下ろされてそしてビビって「べ、別にあなたのために書いたわけじゃない」とか「すんません、こんなことチラシの裏に書くべきでした」なんて言って伝わることを否定したり文章を取り下げたりしたなら、それはあなたの文章に対して失礼だ。いや失礼なんていう言い方では軽すぎる。伝えるために書いた文章に対して「伝わらなければよかった」と宣言することは、その文章を殺したことと同じです。あなたは自分で生み出したものを自分の手で殺すことになる。 あるいは。 そもそも、あなたが誰かに伝えるつもりもなくただ漫然とWEBに文章をあげているのならば、誰かに伝わってしまうことは事故

    あなたの文章を殺すのは誰か。 -
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