タグ

振り子式に関するwhitecat_katのブックマーク (5)

  • 紀勢本線を走った夜行列車のお話 第23話 - 国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

    今回は、昭和61年の三回目として、11月号の時刻表を取り上げてみたいと思います。 国鉄からJRまで4か月ほど、国鉄最後の運賃値上げと、国鉄最後のダイヤ改正が行われました。 この時のダイヤが新生JRのダイヤとなり、又基運賃となりました。 JR発足後は、三島会社が値上げを行いましたが、州三社は消費税導入時・改定時の運賃転嫁分を改定しましたが、当時(1986年)の基運賃を変更していません。(消費税導入時の考え方で、JR東日が初乗り都市区間の初乗りを130円に改定、JR西日・東海は120円に据え置きのため、州各社でも料金が異なっています) 併せて、弊サイト国鉄があった時代も11月頃に限定して、国鉄時代を参照してみたいと思います。 **************以下、弊サイト国鉄があった時代 昭和61年11月分のみ抜粋 この日現在,国鉄の組織人員、国労45.3%,国鉄改革労協49.7% 1

    紀勢本線を走った夜行列車のお話 第23話 - 国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓
    whitecat_kat
    whitecat_kat 2019/06/26
    昭和61年11月、最後のダイヤ改正が行われた国鉄時代 紀勢本線では特急のみが走るダイヤとなりますが、臨時列車を含めた総数は二二本、30分に一本特急が走る、特急街道となりました。
  • https://blog.goo.ne.jp/blackcat_kat/e/7a06900435c212c65686a5f3333a3276

    しばらく間が空いてしまいましたが、紀勢線のダイヤの変遷ということで、昭和61年のダイヤをご覧いただこうと思います。 国鉄分割民営化を昭和62年3月に控えていましたが、実は、日国有鉄道改革法 法律第八十七号が成立するのが、昭和61年12月4日であり、分割民営化は既定の方向で動いていましたが、実際に法律として制定されていませんでした。 この辺が意外と言えるかもしれませんが、実際には法令が制定される前に分割民営化は既定の事項であるとして国鉄が動いていただけに過ぎないとも言えるわけです。 実際の職員選別などは、法律の制定以降に行われることになるわけで、その選定は多忙を極めたとも言われています。 さて、昭和61年の国鉄の動きをサクッと見てみますと、 1月には前年に発売を開始したオレンジカード〔現在は販売を終了した、JR各社の磁気カード)の高額版が発売されました。 国鉄「オレンジ・カード」割引実施

    https://blog.goo.ne.jp/blackcat_kat/e/7a06900435c212c65686a5f3333a3276
    whitecat_kat
    whitecat_kat 2019/06/07
    さて、今回も用意させていただいた時刻表は、三冊 昭和61年3月、8月、11月になります。 特に、11月号は、国鉄最後の時刻改正〔実質的に、JR発足後のダイヤとなる唯一のものとなります。
  • 紀勢本線を走った夜行列車のお話 第20話 - 国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

    しばらく間が空いてしまいましたが、紀勢線のダイヤの変遷ということで、昭和60年をご覧いただこうと思います。 昭和60年、国鉄は分割民営化の方向で突き進んでいる時代であり,昭和60年1月、2月を概括してみますと、国鉄の関連事業への出資が可能となり、ホテル業界への進出のための国鉄職員をホテルに派遣し、直営飲店を開業させるなど、鉄道以外の関連事業へ力を入れています。 また、1月8日には、国鉄監理委員会が分割民営化案を示唆するなど、国鉄を取り巻く環境は悪くなることはあっても、良くなることはありませんでした。 その辺を弊サイトから引用してみたいと思います。 ホテル派遣職員67人の辞令伝達式 1/7 東京北、南、西、千葉の各局及び新幹線総局では、6月オープンをめざし都内に建設中の国鉄出資ホテルに派遣する職員67人の辞令伝達式を行った 今回の派遣は、最も厳しいといわれるホテル業界の営業サービス等の修

    紀勢本線を走った夜行列車のお話 第20話 - 国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓
    whitecat_kat
    whitecat_kat 2019/05/16
    紀勢本線のダイヤの変遷ということで、昭和60年をご覧いただこうと思います。国鉄監理委員会が分割民営化案を示唆するなど、国鉄を取り巻く環境は悪くなることはあっても、良くなることはありませんでした。
  • 紀勢本線を走った夜行列車のお話 第18話 - 国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

    申し訳ありません、一週間以上開けてしまいました。 長々と続く、紀勢線を走った夜行列車のお話し、第18話、今回は昭和58年の世界に皆様をご案内したいと思います。 昭和58年、阪和道は海南インターチェンジ(以下はICと略)までは開通していたものの、南行きはまだまだ開通はしておらず、海南湯浅道路(当時)が一車線で、海南IC-吉備IC(現・有田IC)間を開通させたのは、昭和59年3月28日でした。 さて、早速当時の時刻表を参照してみようと思います。 今回使用するのは、昭和58年1月号と10月号、肝心の夏号が無いのですが、早速ご覧いただこうと思います。 昭和58年1月号、表紙は今は無き大社線の大社駅【建物自体は重要文化財として保存されています】が、表紙で、振り袖姿が写る正月らしい写真が写っています。 さて、早速紀勢線を開いてみますと、定期臨時併せて上り列車は特急14、定期列車10、臨時列車2

    紀勢本線を走った夜行列車のお話 第18話 - 国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓
    whitecat_kat
    whitecat_kat 2019/04/22
    勢本線を走った夜行列車のお話し、第18話、今回は昭和58年の世界に皆様をご案内したいと思います。昭和58年、阪和道は海南インターチェンジ(以下はICと略)までは開通していたものの、南行きはまだまだでした
  • これからの車両を考える 電車編 【交通技術の記事から】 | 日本国有鉄道研究家 blackcatの鉄道技術昔話

    他の交通機関が発達している中では、接客設備の改善は、今後の電車として不可欠の最重点施策の一つであるとして、冷暖房設備の完備はもとより、冷し過ぎ、熱過ぎなどについても、十分きめ細かな配慮、が必要であるとしています。 腰掛け改善あるいは天井・床などの室内配色なども常に時代にマッチしたものとする必要がある乗り心地の改善として、近郊・通勤形などへも空気ばねの採用を行う必要がある振子電車を基に、都市間輸送の時間短縮を行う必要がある最高速度についても、現状ではプレーキ距離の制限など制約事項が多いが、140~150krn/hを目標とした技術開発を行う必要がある省エネルギー化として、直流・交流との回生プレーキの幅広い使用車両軽量化について、車体の軽合金または軽量ステンレスの採用電気品等の部品の軽量化車体のステンレス化や経合金化は、腐防止にもなり、寿命の延伸とともに、保守の省力化を図ることにもなる個々の

    これからの車両を考える 電車編 【交通技術の記事から】 | 日本国有鉄道研究家 blackcatの鉄道技術昔話
    whitecat_kat
    whitecat_kat 2019/03/01
    国鉄時代に計画された気動車の開発等 昭和56年の国鉄部内誌、交通技術で、続・これからの車両を考えると言う記事が出ていました。 電車編・気動車編と書かれているのですが、今回は電車を取り上げてみたいと思います
  • 1