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  • 生産性運動と動労 動労から見た生産性運動とは 第2話 - 日本国有鉄道 労働運動史(別館)

    長らく更新できませんでしたが、改めて動労の生産性運動と言うところのフォーカスを当てながら見ていきたいと思います。 参考にするのは、谷恭介・松崎明共著の、国鉄動力車を中心に、国鉄民主化への道(鉄道友愛会議・著)、動労運動史などを参照しながらアップさせていただこうと思います。 動労から見た生産性運動 動力近代化という合理化 動労の反合理化闘争は、国鉄当局の動力近代化に直接関わっている内容であった。 蒸気機関車を廃止して、電機機関車・内燃機関車に置き換えることは、運転操作の高度化と機関助士の不要を意味していた。 動労(当時は機関車労組)としては、昭和32年の第一次五カ年計画の頃からその反対運動に取り組むこととなるが、動力近代化で一番割をうのは機関車乗務員特に機関助士と呼ばれる乗務員であり、蒸気機関車から電機機関車・内燃機関車への変更は、運用距離の増加も含めて機関助士の削減、機関車庫の減少による

    生産性運動と動労 動労から見た生産性運動とは 第2話 - 日本国有鉄道 労働運動史(別館)
    whitecat_kat
    whitecat_kat 2024/07/16
    生産性運動と動労
  • 国鉄再建を目指し!労使共同宣言が拓く新展開#再編 - 日本国有鉄道 労働運動史

    約一ヶ月ほど経ましたが、改めてアップさせていただきます。 労使共同宣言までの一連の流れ 昭和61年になると、国鉄分割民営化は既定事項となり、鉄労・動労・全施労は「労使共同宣言」を締結し、国労は更に孤立を余儀なくされることとなりました。 改めて国鉄改革関連の時系列を、弊サイト国鉄があった時代から引用しますと下記のようになります。 三塚運輸大臣が、組合幹部に要請したことを受けて、1月13日に杉浦総裁と国労以下組合幹部が会談、鉄労・動労・全施労の三組合は、「 案文については、 若干の主張はある」としながらも、基的には同意できるとして、労使共同宣言を受諾、国労は  「 提案の方法が唐突だ」として、議論に参加することはなく、国労は「労使共同宣言」は受入れ出来ないとして、「労使共同宣言(案)に対する態度」という見解を発表しています。 国鉄余剰職員2万1000人を関連企業が受入 1/7 国鉄は61年度

    国鉄再建を目指し!労使共同宣言が拓く新展開#再編 - 日本国有鉄道 労働運動史
  • 国労内で民同右派による分裂運動(新潟闘争前) Ⅴ - 日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】

    官僚主義に陥る国労という組織 国労は、戦後すぐの昭和22(1947)年に結集された国鉄労働組合総連合会であり、国鉄職員の96%が結集した組合と言われていますが、国鉄の職場は運転・駅業務から果ては、船舶・病院・非現業に至るまで多岐にわたり、昭和26(1951)年には、機関車労組として職能別組合が分裂、その後も同じような職能別への分離が水面下で行われていたようです。 国鉄部内紙、日国有鉄道の記事、「国労松山大会を聴いて」という記事の中で、傍聴した元朝日新聞社論説委員の見解として、国労自身の問題として、いたずらに階級闘争ばかりに拘っている点を指摘しています。 問題は次のようなことである。自分たちの持っている考えこそ、物であり、またそれが階級的であるとうぬぼれて、他の一切のものを受けつけまいとする態度そのものが、自己批判されねばならないということである。他から批判されると、ますます狭い殻の中に

    国労内で民同右派による分裂運動(新潟闘争前) Ⅴ - 日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】
  • 生産性運動と動労 動労から見た生産性運動とは 第1話 - 日本国有鉄道 労働運動史(別館)

    長らく間が開いてしまいましたが、今回から動労と生産性運動と言うことで、動労から見た生産性運動についてお話をしたいと思います。 今回参考とするのは動労三〇年史を参考に他の資料などを参照しながら書かせていただきます。 当然のことながら、動労視点での記述ですので、動労に都合のよいように解釈されている部分が多々あるかと思いますが、その辺は割り切ってご覧いただけますことを最初にお断りしておきます。 動労が語る生産性運動とは 動労からみた生産性運動の目的は以下のように記しています。 生産性運動は、政府・自民t脳・国鉄当局の合理化計画は質的矛盾(国費で行うべき設備投資を国鉄だけに添加してきたことに起因するものと思われる)による赤字体質を隠蔽するために、合理化を推進するとともに、どの挫折の責任を労働組合に負わせた。 労働組合の体質改善を図るべく、動労・国労組織を合理化に協力する御用組合化するべく、内部で

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  • 国鉄労働組合史詳細解説 150 - 日本国有鉄道 労働運動史

    久々に更新させていただきます。 今回から、弊サイト「国鉄があった時代」の記事を参照しながら、自身の記憶を絡めながらお話を勧めさせていただきます。 最初に1985年7月以降の国鉄に関する動きを見ていきたいと思います。 1985年後半(国鉄があった時代) 大畑線【路線廃止】下北~大畑間 下北交通に転換 7/1 岩内線【路線廃止】全線(-14.9km)。ニセコバスに転換 7/1 興浜北線【路線廃止】浜頓別~北見枝幸(-30.4km)。宗谷バスにバス転換 7/1 この内、大畑線は、鉄道経営の経験を持たない民間パス会社に移管した全国初のケースとなる 第1次線40線区のうち29線区の転換が完了 JNRカード会員募集開始 7/1 キャプテン利用の指定券予約受付開始 7/1 国労主催"国鉄の分割・民営化反対、地方交通線廃止反対、地域公共交通を守る全国交流集会"全国各地の「足を守る会」など10団体、約100

    国鉄労働組合史詳細解説 150 - 日本国有鉄道 労働運動史
    whitecat_kat
    whitecat_kat 2024/02/21
    1985年、国鉄改革を受けて国労の動きを中心にお話をさせていただきます。
  • 国鉄労働組合史詳細解説 149 - 日本国有鉄道 労働運動史

    ランキング参加中鉄道 ランキング参加中歴史 ランキング参加中社会ランキング参加中相互で読者登録しませんか? 久々に更新させていただきます。 国鉄分割民営化が、既定の路線として進みつつある中では、市民レベルによる反対運動が提起されるようになってきました。 こうした取り組みの結果、「国民会議の結成」に繋がったと書かれていますが。 こうした動きはあるものの、当時の国労は分割民営化絶対反対が基方針であり、階級闘争という形で当局と対立してきた経緯がある国労からすれば、動労や鉄労のように労使協調路線は出したくても出せないカードでした。 昭和60年頃までは、国労は国鉄内では最大の組織力を誇り、ストライキを行いつつも主張していくことは主張していくとし、市民団体と連携しながら分割民営化反対の運動を続けて行くわけですが、仁杉総裁が昭和60(1985)年6月24日に辞任し、杉浦新総裁が就任した頃から、風向きは

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  • 国労内で民同右派による分裂運動(新潟闘争前) Ⅳ - 日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】

    半年も放置状態になってしまいましたが、改めて筆を進めたいと思います。 主には、国鉄民主化への道を参照しながら弊サイト国鉄があった時代、及び国鉄部内紙国有鉄道などを参照しながら進めていきたいと思います。 国鉄当局は、職員ではないものを組合役員とすることを拒否 事の発端は、国労が懲戒処分で解雇された組合役員を再び専従役員として選出したことであり、これに対して当局が強く反発したのが始まりでした。 その辺を弊サイト「国鉄があった時代」から引用したいと思います。 事の発端は、国労第13回大会での解雇された役員を再び専従役員として選出したからであり、当局から何度も警告を受けていましたが、国労自身はさほど重要に考えていなかったように見えます。 国労第13回全国大会等開催 山形県上ノ山 5/15 第13回全国大会及び第36回中央委員会が開催され、29年度の運動方針として、業務方針や党幹部の決定を行った 運

    国労内で民同右派による分裂運動(新潟闘争前) Ⅳ - 日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】
  • 国鉄労働組合史詳細解説 148 - 日本国有鉄道 労働運動史

    今回も、引き続き国鉄分割民営化前後の記事をアップさせていただきます。 格化する財政再建論議 国鉄の財政悪化を受けて、国鉄の財政再建が格的に議論が行われていました。 4年前の昭和50年に行われたスト権スト、更には昭和51年の大幅値上げ(初乗り旅客運賃が30円→60円)平均50.4%が行われ、この頃から格的な国鉄離れが始まりました。 その結果、旅客以上に貨物のトラックへの移行が進むなど徐々に国鉄の貨物輸送はジリ貧の状況に追いやられていきます。 昭和52年には、国鉄運賃は法定制から運輸大臣の認可制に変更されることとなり、昭和53年5月には運賃改訂を申請、その後毎年のように運賃は改定されていきました。 それとともに、最後の再建計画と言われた国鉄再建計画が実施されることとなり、貨物列車の減量化などが進められ、昭和57年には旅客・貨物共大幅な減量ダイヤとなりました。特に貨物輸送の減少が大きく、数

    国鉄労働組合史詳細解説 148 - 日本国有鉄道 労働運動史
  • 驚きの国鉄労働運動史!機関助士反対闘争の結末とは? #労働運動 #機関助士 - 日本国有鉄道 労働運動史(別館)

    ほぼ5ヶ月ぶりに更新になります。 長らく開けてしまって申し訳ございません、動画の作成なども重なり中々時間がとれなかったと言い訳をしておきます。苦笑 動労の行った機関助士反対闘争は、それまでの機関助士の処遇をどうするのかという問題もあり、国労以上に動労には切実な問題でした。 弊blog 日国有鉄道 労働運動史 国鉄労働組合史詳細解説 22-3 を参照しますと、最終的には動労は、夜行列車などにおける機関助士常務を認めさせたほか、廃止される機関助士にあっては、EL・DL乗務助士9,000人中、約3,500人の存置の確認、 廃止助士については、機関士・・検査係へ逐次登用させることで、一定の整理を図れたとしていますが。 こうして、自らの組合としての勝利と書いているもののかなり薄氷を踏むような状況であったようです。 国労も機関助士反対闘争では同調していますが、元々電車乗務員が多い国労の場合電車は一人

    驚きの国鉄労働運動史!機関助士反対闘争の結末とは? #労働運動 #機関助士 - 日本国有鉄道 労働運動史(別館)
    whitecat_kat
    whitecat_kat 2023/10/19
    動労
  • 国鉄労働組合史詳細解説 147 - 日本国有鉄道 労働運動史

    ランキング参加中鉄道 ランキング参加中歴史 ランキング参加中社会ランキング参加中相互で読者登録しませんか? 久々に更新させていただきます。 今回も、国労の資料を中心に当時の国鉄分割民営化の頃の様子をご覧いただこうと思います。 国鉄では、昭和60年7月29日から8月2日にかけて行われた、国労の定期大会で決定した、5000万署名運動を展開して来たわけですが、既にこの時期には分割民営化ありきの方向に世論は誘導されていました。 当局は雇用安定協約を当局側が交わさず、揺さぶりをかけるものの、国労の構成員は未だ20万人近くを維持しており、国労とすれば、まだまだ逆転は可能であると考えていたようです。 この辺は、これからは「公企労レポート」なども参照しながら、お話を進めさせていただきます。 国労の的大会の前後のお話をさせていただくと、国鉄総裁が元国鉄OBの仁杉氏から元運輸事務次官の杉浦氏に中曽根首相の肝い

    国鉄労働組合史詳細解説 147 - 日本国有鉄道 労働運動史
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    whitecat_kat 2023/10/16
    今回は昭和60年7月の公企労レポートを参照しながら、労働運動を振り返ります。
  • 国鉄労働組合史詳細解説 146 - 日本国有鉄道 労働運動史

    ランキング参加中鉄道 ランキング参加中歴史 ランキング参加中社会ランキング参加中相互で読者登録しませんか? はじめに 国鉄分割民営化の方向性が示され、動労も国労とは距離を置き始めた時代にあって、国労は分割民営化反対をスローガンに掲げていました。 この時期は、若手職員などが将来に不安を感じて自殺などもありましたが、まだまだ国労は国鉄の中でも最大人員を誇る組織であり、総評もかなり力を入れて応援していました。 世論は、前年のNTTの民営化成功を受けて、民営化には比較的好意的であり、分割に対する不安は持っていたものの、国鉄の赤字を解消するには競争させるべきだ・・・その為に分割するのだと言う論理は冷静に考えれば非常の矛盾した内容でも有りました。 すなわち、前年に民営化された、専売公社も電電公社も分割はされず、それぞれJT・NTTという全国一社の民間会社として誕生したのでした。 そして、電電公社の場合

    国鉄労働組合史詳細解説 146 - 日本国有鉄道 労働運動史
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    whitecat_kat 2023/05/17
    国鉄分割民営化前、昭和61年頃の出来事をアップさせていただきました。
  • 生産性運動前後の国労の動き、動労の動きを中心に(EL・DL一人乗務反対闘争)第四回 - 日本国有鉄道 労働運動史(別館)

    いよいよ題である、機関助士廃止反対闘争に入っていきたいと思います。 今回参照するのは、動労の年史 動労三〇年史を参考にしながら検討を進めていきたいと思います。 反対闘争のきっかけは、ヨンサントウとも深い関係が 国鉄では、動力近代化を進める中で蒸気機関車の廃止を積極的に推進することとして、昭和50年末には蒸気機関車を全廃する方向で進められることとなりましたが、電気機関車・デーゼル機関車の場合、蒸気機関車では必須であった機関助士はその業務が殆ど信号確認だけとなることから、検修の変更と相まって機関助士の廃止も大きな問題となってきました。 国鉄では積極的に合理化対策を打ち出す反面、動労はこうした動きに強く反発、1968年(昭和43)5月28日~6月1日まで5日まで、動労の全国大会が新潟で開催され、同年6月10日には、国鉄社に対し、五万人要員合理化案撤回を中心とした33項目の申し入れを行ったので

    生産性運動前後の国労の動き、動労の動きを中心に(EL・DL一人乗務反対闘争)第四回 - 日本国有鉄道 労働運動史(別館)
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    whitecat_kat 2023/04/26
    国鉄闘争、特に1968年の機関助士廃止反対闘争は、動労が一番力を入れた闘争でしたが、このトラウマがこくえっつ分割民営化時の動労の変節に繋がっていったという可能性は捨てきれません。
  • 国鉄労働組合史詳細解説 145 - 日本国有鉄道 労働運動史

    ランキング参加中鉄道 ランキング参加中歴史 ランキング参加中社会ランキング参加中相互で読者登録しませんか? 久々に更新させていただきます。 余剰人員対策として、国鉄では直営店舗などの開設が行われ、関連事業収入のそうかと言うことでの多角化経営が行われることに 国鉄では、仁杉総裁が更迭され、杉浦総裁が中曽根首相の意向を汲んで最後の国鉄総裁として分割民営化を進めることを目的として送り込まれたわけですが、国鉄当局としては強力な合理化により、過員を生み出し(国鉄当局の表現では余剰人員)、多くの人材を直営店などの関連事業に振り分けることとなりました。 当時の国有鉄道という雑誌〈国鉄非現業機関向けの雑誌〉などを参照しますと見返しページなどで、直営店の様子などが掲載されていました。 直営店などの関連事業 国有鉄道 1985年12月号 から引用 こうした関連事業以上に、発生する過員にあっては一時帰休や退職

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    whitecat_kat 2023/04/17
    国鉄本社では大幅な合理化により多くの過員を生み出しており、直営店などを開設しますが、それでも過員は発生しますので、その多くは雑用などの要員として、本来業務から外されることとなるという悪循環にに、
  • 国鉄労働組合史詳細解説 144 - 日本国有鉄道 労働運動史

    ランキング参加中社会 ランキング参加中歴史 ランキング参加中鉄道 久々に更新させていただこうと思います。国鉄分割民営化の答申が決定、鉄労は分割民営化を賛成の立場を明確にしていきますが、この時期の動労は多少迷走とも言える状況になります。 仁杉総裁の辞任と国鉄改革 国鉄改革は、高木総裁は全く反対という立場を貫いたことから、任期を残して仁杉総裁と交代することとなりました。 仁杉氏も国鉄出身とは言え、国鉄民営化は止むなしとして最初に発言したことから、国鉄社の幹部からは、改革派として警戒されることとなり、徐々に発言はトーンダウンしていくことに。 この辺は、仁杉氏の変節と言うよりも守旧派の幹部による情報操作的な意味合いが強かったように見受けられます。そして、この頃の組合の動きを見ていますと、三種三用の動きを見ることが出来ます。 総評が国鉄改革に熱心になるのは、自らの組織を守るため 昭和26年に分裂し

    国鉄労働組合史詳細解説 144 - 日本国有鉄道 労働運動史
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    whitecat_kat 2023/02/22
    昭和60年、動労もそれまでのどちらかと言えば当局の動きに合わせるように協力的だった動きから、再び総評にすり寄ることとなります。その背景には当局とのパイプが切れたことにも原因がありました
  • 桜木町事故に関する国会審問の議事録 第43回 検察編第7回 - 鉄道ジャーナリスト加藤好啓のblog 国会審議集:楽天ブログ

    2023.02.05 桜木町事故に関する国会審問の議事録 第43回 検察編第7回 カテゴリ:桜木町事故 ​ほぼ一ヶ月ぶりに更新させていただきます。 今回も、検事による証人審問を引き続き書かせていただきます。 ​事故発生時刻は何時何分なのか?​ 調書では架線が切れた発生時間は、1時38分から44分の間としており、国鉄の資料等でも1時40分頃とと言う表現はされているものの正確な時間は判っていません。 それは、横浜変電区の高速度遮断器が切断した記録としての時間が1時38分と記録されていること、更に発火の際には事故電流が流れるので、その時刻が同じく横浜変電区のブレーカーが飛んだと記録されており、その時刻が1時44分であったとされています。​ ​又検事証言に寄りますと、車掌の証言では、1時42分に時計を見たと証言しています。 さらに、国鉄が提出した資料では、1時43分であったと言うことで、事故発生時

    桜木町事故に関する国会審問の議事録 第43回 検察編第7回 - 鉄道ジャーナリスト加藤好啓のblog 国会審議集:楽天ブログ
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    whitecat_kat 2023/02/05
    桜木町事故に関する国会審問を随時アップしています。
  • 国鉄労働組合史詳細解説 143 - 日本国有鉄道 労働運動史

    ランキング参加中社会 ランキング参加中歴史 ランキング参加中鉄道 ランキング参加中相互で読者登録しませんか? 久々に更新させていただきます 国鉄では、はあ制する余剰人員に対して万全の措置を講ずとして、他省庁や公社、地方自治体などの受け入れを要請しました。 しかし実際には、他省庁などからすれば中途採用で入ってくる職員さんは、未知数の上適性もある訳でその後なじむ人も居た反面、水が合わず1年もせずに退職したなんて人も居ました。 今回は其処まで踏み込めるか否かは判りませんが、当時の様子を国労に記事以外からも参照しながらその実情に迫ってみたいと思います。 余剰人員という名の定員整理 国鉄では、昭和30年代から概ね40万人台で推移してきました。 昭和30年代は増大する輸送力にそって、迅雲が増える分も吸収できたわけですが、その後は動力近代化などで合理化が図れたにもかかわらず、組合は、反合理化闘争で、人員

    国鉄労働組合史詳細解説 143 - 日本国有鉄道 労働運動史
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    whitecat_kat 2023/01/23
    今回は昭和60年7月の閣議決定の頃からの話しを中心に国鉄改革の話を続けます。
  • 生産性運動前後の国労の動き、動労の動きを中心に(EL・DL一人乗務反対闘争)第三回 - 日本国有鉄道 労働運動史(別館)

    長らく開けてしまいましたが、生産性運動前に行われたEL・DL一人乗務反対闘争のお話をさせていただきます。 此処で参考にしたのは、当局が編纂した国有鉄道と呼ばれる雑誌を参考に、一部国労・鉄労・動労の資料等を参照しながら記してみます。 当時の動労は、主流派と呼ばれるグループと反主流派が常に激しく対立しており、組合内でのその勢力は徐々に反主流派が力を付けていく、そんな時代でした。 今回は昭和40年の動労大会に関する様子を中心に、動労の様子を「国有鉄道」という冊子から引用してみたいと思います。 当時の動労は主流派と呼ばれた(機関車同志会)と呼ばれる穏健派と、反主流派(政研派)が争っていたようで、徐々にその動きは過激さを増している様に記述されています。 当時の動労の運動としては、興味を引くのは以下の内容です。 一人一人が意識した行動を取る運動を導入 動労はこの年から新しい戦術として、全電通を真似た新

    生産性運動前後の国労の動き、動労の動きを中心に(EL・DL一人乗務反対闘争)第三回 - 日本国有鉄道 労働運動史(別館)
    whitecat_kat
    whitecat_kat 2023/01/18
    昭和40年、生産性運動前の動労は、組織内では政研派と呼ばれる反主流派と、従来の流れを汲む主流派がその覇権を争っており、反主流派は、革マルと関係が深い、反戦青年委員会に属する松崎明を率いるグループと近づく
  • 国労内で民同右派による分裂運動(新潟闘争前) - 日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】

    またまた2ヶ月ほど開けてしまいましたが、改めて鉄労視点から見た新潟闘争前後の話をさえていただこうと思います。 講和条約での扱いをめぐって社会党内で、右派と左派に別れての問題はそのまま労働組合にも派生することとなり、社会党左派を支持するグループと、右派を支持するグループに分かれ、これは国労内では民同派と新生民同派に分かれることとなり、民同派は左派、新生民同派は右派という色分けとなっていました。 そんな中、国鉄内での組合運動はますます激化し、政治運動などを中心とする組合運動に変節していきました。 また、機関車労組は、設立当初の穏健な運転局に庇護されるような組合から徐々に左傾化し、その運動は過激さを増していくこととなりました。 国労が、反戦青年委員会など後の過激派となる組織を潰そうとしたことに対し、機関車労組はむしろ容認してきたことからさらに、機労は過激さを増して行くこととなりました。 ただ、こ

    国労内で民同右派による分裂運動(新潟闘争前) - 日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】
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    whitecat_kat 2023/01/04
    今回は新潟闘争前の国労・動労大会の話しを中心にさせていただきましたが、左傾化していく組合とそれに対抗する当局のせめぎ合い、更に組合の指令をボイコットする地本や、指令以上の闘争を仕掛ける地本など・・・
  • 国鉄労働組合史詳細解説 142 - 日本国有鉄道 労働運動史

    ランキング参加中社会 ランキング参加中歴史 ランキング参加中鉄道 ランキング参加中相互で読者登録しませんか? 完成したのに消えてしまったので、改めてアップさせていただき 下書きのサムネイルがおかしかったので、それを避けようと思い消したところ下書きまで消えてしまいかなり落ち込んでいます。 再建監理委員会による臨調答申前後の国鉄の現場では 再建監理委員会による国鉄改革は、分割民営化の方向で進むこととなり、民営化を容認していた仁杉総裁は副総裁及び太田職員局長などの説得もあり、徐々にトーンダウンしていくとともに、身内の会社が国鉄から業務を請け負っているとしてマスコミにたたかれるなどして詰め腹を切られされる形で辞任、1985年6月24日には辞任、その際に反対派の幹部の辞表をとりまとめて一緒に退任することで、国鉄社内には分割民営化反対派は一掃されることとなります。 後任には、元運輸事務次官であった杉

    国鉄労働組合史詳細解説 142 - 日本国有鉄道 労働運動史
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    whitecat_kat 2022/11/26
    動労は、革マル派の独自の理論、乗り越えの理論により、国鉄改革にあって当局にすり寄り、中核派を擁する千葉動労は、こうした本部の動きを激しく非難することとなりました。革マル派の「乗り越えの理論」とは?
  • 『JR発足の頃 鉄道150周年に寄せて 国鉄からJRへ』

    鉄道ジャーナリスト加藤好啓(blackcat)blog福祉と公共交通の視点から、鉄道のあり方を熱く語る? blackcat こと加藤好啓です。 現在の公共交通の問題点などを過去の歴史などと比較しながら提言していきます。 随時更新予定です。 1987年4月1日JR各社発足 JRは1987(昭和62)年4月1日、日国有鉄道を民営化することで発足した民間会社であり、今年の4月で35周年を迎えたことは, 皆さんもよくご存じのことと思います。 それまで全国一社体制であった国鉄は、1987年4月1日を以て、地域毎6社に分割された旅客会社と全国1の貨物会社、それ以外に鉄道技術研究所がJR総研に、鉄道電話のシステムはJR通信、マルスなどの管理はJRシステム、更に新幹線保有機構と呼ばれる組織が新たに設置される分割民営化が実施されました。 元々の国鉄と言う組織は、「清算事業団」と言う名称に変更となり、JR

    『JR発足の頃 鉄道150周年に寄せて 国鉄からJRへ』