私は、ある時、富士通の海外事業総責任者として代表取締役副社長を拝命した。グローバル時代と叫ばれつつあるなかで、大変、やりがいのある仕事を頂いた。私は、これまでの会社人生の延長線上として、あらゆる問題は、現地に行って、現地の責任者と話すことで解決を図ろうとした。その結果、年間海外出張回数は30回、1年間の総飛行距離は27万マイルに達することになった。年間30回と言うと、隔週で成田から出発していることになる。しかし、それは長くは持たなかった、あと1年、そうした生活をしていたら、どこかで死んでいただろう。今、こんなことを書いている私はこの世にはいない。 そうした激務をこなす為に、会社は、私に、いつもファーストクラスを用意してくれた。そのファーストクラスの機内で、出発便か帰国便で必ず会う方がいた。日本電産の永守社長である。なにしろ、永守さんは目立つ。皆、機内はラフな格好をしているのに、永守さんだけ