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おまえら「被害者の横暴」と「正義の暴走」にだけは、ものすごく敏感だな。
僕は夫婦別姓や同性婚を「個人の自由(だから口を出すな)」から擁護するのは問題があると思うんですよ。結婚という「法的権利義務と社会経済的・象徴的な利益の得喪に関わる公的な制度」への平等なアクセスの問題として議論すべき。 https://t.co/nYK2XCzLxO
何度も書いているけど、1)研究は批判したらいいし、2)研究者も批判したらいいし、3)研究界隈や学会も批判したらいいし、4)研究分野全体も批判したらいいけど、それぞれ手続きや求められる根拠が違うわけで、まさかとは思うけど1)や2)の根拠で4)ができるなんて思ってないよねっていう。
「誰もが結婚し/子を持つこと」を前提としにくくなったのはその通りだけど、そもそも「誰もが親から生まれ/大人たちに育てられた」ことを前提とすればいいのでは。私たちはみな、子どもを産み育てることを選んだ人々を支援するのではなく、自分自身を生み育てた人々への借りを次世代に返すのである。
こういうのはフレーミングが大事だから、「選択的夫婦別姓制度の導入」ではなくて「強制的夫婦同姓制度の廃止」として議論すべきでは
試しにフォロワー数の多い女性研究者の@IDで検索かけたことがあって、自分が普段受け取るクソリプの比ではない低レベルで不快で差別的なリプが膨大に届いていて本当に驚く。明らかに女だから舐められてるし、同じ「クソリプ」、同じ「Twitter」という言葉で、全く別の現実と向き合ってる。
社会科学的な因果を政策学的な目的手段に反転させて用いるとき、説明に隠れた前提を見落とすと悲惨ですよね。たとえば「少子化の原因は(結婚しなければ子どもを持てない社会を前提とした)未婚化だ」から「未婚化を止めるには結婚支援しかない」を導くように、前提を変える選択肢を見落としがち。
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