焼夷弾で焼き尽くされた「国宝」 江戸時代に存在していた天守の多くは1873(明治6)年、城を封建時代の遺物と断じた明治政府がいわゆる「廃城令」を出したのち、取り壊されるなどして姿を消した。それでも1945(昭和20)年を迎えるまでは、全国に20の天守が残っていた。 しかし、城は軍の駐屯地であったりして、米軍の空襲の標的になりやすかった。直接の標的にはならなくても、米軍は密集する市街地に焼夷弾攻撃を繰り返したので、火はあっという間に城にまで燃え広がった。 焼夷弾とは、火のついた油脂をまき散らして、あたり一面を焼き尽くすもので、米軍はこれを人口密度が高く木造家屋が密集する市街地に落とした。飛び出した油脂は90メートルも飛んだので、あっという間に火の海に囲まれてしまった。 まず5月14日に名古屋城天守が焼け落ちた。有名な金の鯱を避難させようとして組んであった足場に焼夷弾が引っかかり、そこから火が
糸色 丁頁 其月(旧ツイッタラー) @8itzck エキスパンションジョイントと言って、 揺れを吸収するために隙間をわざと作ってカバーのプレートをかぶせています。 それが外れたので、ある意味ちゃんと機能したということです。 柱とかにバッテン形の亀裂とか、外壁があからさまに斜めとかあれば要注意です twitter.com/si_e_r/status/… 2021-02-14 01:08:13 トシゾー @Toshizoo_wanko (´-ω-`)10年前にも言った気がするけどコレはエキスパンションジョイント(伸縮継手)というもので居住区画がダメージ受けないように「わざと壊れる」ように出来てるんだよ。 大きなコンクリートって割れやすいから縁切り(一点に力がかからないための仕切り)を設けるの。 twitter.com/si_e_r/status/… 2021-02-14 06:35:50
【追記】 はてブなどでご指摘頂いた、「樋口清之の著書が瓦の落下と地震に関する初出ではないか」ということに関して、記事をまとめたので、参考までにご覧ください。 ibenzo.hatenablog.com 熊本を中心とした地震の大きな被害は、遠方であっても心を痛める出来事です。 そして、こういう災害に乗じて起こるのがデマや流言と言った類です。すでに、「井戸に毒を流した」レベルのくだらないデマがTwitterなんかを席巻しているようですが、その中でも私が気になったのは、以下のものです。 grapee.jp 熊本城の天守閣の瓦が落ちている映像が随所で流れていましたが、それは「日本建築」が、「地震時には瓦は振るい落とされ、建屋の倒壊を防ぐ」ためにわざとそうしている、といった意味があるんだとか。 なるほど、調べてみるとそんな記述がネット上には転がっています。 瓦がズレ落ちるように、わざと瓦を固定してい
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く