となす。麻畑(あさばたけ)は26年福屋角助、農を志し次いで、月田彌三郎等入地す。爾後伊東三代吉等、水稲試作の成功により、入植者増加し漸く村落を形成するに至り、平本与三吉部落総代となり部落自治の基を成す。……39年二級町 村制施行当時、江別村字大曲、麻畑、樹林地と称されるも、昭和10年字名改正により統一して大麻(おおあさ)と称するに至る。(略)」 この資料は昭和35年、開拓70年を記念して大麻(おおあさ)住民が、大麻(おおあさ)神社境内に建立した開拓記念碑の碑文の一節です。この短い碑文の中に、先人の苦闘の跡が十分読み取れるとともに地名の由来もよくわかります。 江別(えべつ)と野幌(のっぽろ)は「屯田兵(とんでんへい)制度」により人々が入植した地域ですので、明治政府の援助の下で開拓が進められました。ところが現在の大麻一帯は、資料の冒頭にあるように、野幌に入植した屯田兵が個人的に耕作した土地