昨年は怒涛の一年だったので、リマインドを。 旅先で「なんで私に」と思うほどの業が深い昔話や体験を聞くことがある。あれは呪いの分け前なんだと思う。自分一人で背負うには余りに大きいものを遠い世界から来た者に話して楽になる。「話す」は「離す」。 こんなつぶやきが流れてくるとき、人様の秘密を預かることの多い人生だったかもしれないと振り返る。つまるところ、誰かにとっての私はいつも遠い他者であることが多いのだ。関係性の継続を約束させない存在、場面が次々と切り替わる映画のような存在、分け与えた呪いに大きな物語を見い出さない存在として*1。 年末年始に幾原邦彦『輪るピングドラム』*2を鑑賞した。奇しくも感染症による分断の危機が蔓延する時代にこの作品に出会えたことを心から感謝した。それは私自身、貪欲に与えられたい/貪欲に与えたいと思える他者がいなければ希望を欠くような時代が到来したと感じていて、身近な人間関