1950 - 1960年代ごろ 富裕層を中心に当時まだ高価だったオートバイを集団で乗り回す若者が登場。マフラーを外してけたたましい爆音を響かせながら走り回る様から「カミナリ族」という呼称が生まれた。 1970年代 オートバイは低価格化とともに広く一般へも普及し、とりわけ不良少年に浸透。 1972年 富山県富山市中心部の城址大通りから端を発して全国に広がった騒動をきっかけに、「暴走族」の呼び名が広まり警察当局もこの名称を公文書に用いた。 東日本では1972年ごろからグループ化が始まり、1974年には確認されているだけで86件の抗争事件が発生。 1975年 上半期の時点では、全国に571グループ、約2万3千人が存在。 包丁、火炎瓶、ヌンチャク、角材や木刀などで武装するグループも現れた。 1978年 道路交通法の改正により「共同危険行為等禁止規定」が新設 1980年前後 暴走族は最盛期を迎えた。